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初めての緊急入院、手術(1)「もう終わりでもいいと思った」

人生初の緊急入院、手術をし、7ヶ月ぶりに退院。経験が何かの役に立つかもしれないと思い、綴ります。

*経過*
2019年11月13日(水)
派遣仕事に出勤。食欲が無いものの、残業して、ふらふら帰宅。

11月14日(木)
出勤しようと電車に乗り途中まで行ったが、具合が悪く引き返してくる。

11月15日(金)
公休。ふらふらするものの、ゴミ捨ても行う。休んでも治らず、明日は病院に行かなければと思う。

11月16日(土)
私「家の中を歩くのもやっとで、ふらふらなんだけど、何科に行ったらいいだろう?」
友人「そんな状態で、なんで一人で家にいるの! とにかく早く病院に行って!」
看護師の友人にメールすると、即レス。

電話で症状について相談。「とりあえず来てくれ」とのことで、頸椎を傷めて通っていた整形外科へ。ふらふら度が増してくる。
「これは脳の問題かも」
診察後、紹介状を書いてもらい、脳を診てくれる病院へ。

神経内科でMRI。
「脊髄がダメージを受けている。ここでは治療できないので紹介状を書きます。今日でよかった。週明けだったら間に合わなかった」

大学病院まで救急車で搬送。

人生初のMRI、救急車、緊急入院、ICU、手術。
女性54歳、未婚、子無し。もう終わりでもいいと思った

別に驚いていなかった

搬送先の神経内科で再びMRIなどの検査をしまくり、紹介状に書かれていた症状についての説明を受けた。ところが。
「MRIの結果をよく見たところ、どうやら紹介状の症状ではないようです。今までの説明はすべて忘れて下さい。脳外科に移します」
診断ミス??
大学病院内で神経内科⇒脳外科へ。

「MRIで脊髄近くに影が写りました。それがなんなのか、月曜日に検査します」
「脊髄がダメージを受けているので、心臓や肺が止まることがあります」
脳外科で説明を受けた。

「突然のことで驚いたでしょう?」
行く先々で言われたけれど、別に驚いていなかった。

ストレスにまみれていた。
安らぎの場がなかった。
どうしたらいいのか、わからなかった。
発狂しそうだった。

散らかっているのがわかるのに、部屋の片付けすらできなかった。人はこうして病んでいくのかなと、ぼんやりと考えていた。

だから体が悲鳴を上げて体調を崩したんだ。当然のことと思えた。

「ここで孤独死したら大家さんに迷惑をかけてしまう」
と思ったから、病院のベッドの上にたどり着いて、「ミッション終了」。

どんどん体が動かなくなる

11月16日(土)入院。
18日(月)に予定されていた検査が1日ずつ延期になる。一刻も早く治療して欲しいのに。やっと検査を受けられたのが20日(水)。

入院時には動けていたのが、痛みを感じる左肩からだんだん痺れが広がり動かなくなっていった。水を飲み込むこともできなくなる。

「どんどん悪くなります」
やってくる看護師さんや訓練士さんに訴えていた。
「なんの治療もしてもらえない。検査しただけでは良くならないですよね」
「検査が延期になるのは、重症じゃないからですか?」
看護師さんに聞いたのは、私が泣きながら訴えたという記録になっていたらしい。

自然治癒しないことは、素人の私でもわかった。神経を圧迫しているものを取ってもらわなければ。

具合が悪いことを伝えた友人知人から連絡が入ってるかも。でも眩暈がしてスマホをチェックすることも無理。

11月20日(水)
やっと受けられた検査直後、検査技師に言われた。
「一番大切な神経、脊髄がやられました」

だからどうなの? もうダメなの? 言葉を失っていると、続いた。
「治療していきましょう」
治療できるのか…と思っていたら、付き添っていた主治医が笑顔で言った。
「どんな気分? 大丈夫?」
言葉もなく主治医を見つめた私の表情は、きっとどんな俳優よりも完璧な“戸惑い”の症状をしていたと思う。

「私、死んじゃうんじゃないですか?」

翌日だったか、検温をしたら37度あった。熱っぽいとも感じなかったが、
「肺炎になっちゃう」
主治医の判断でICUへ。看護師さんも訓練士さんも大わらわ。

病室に来た執刀医が言った。
「原因もわからなーい、時期もわからなーいけど、首から肩のあたりでドバー、ドバー、ドバーと出血したので、それを取る手術をします」

「どんどん悪くなります。私、死んじゃうんじゃないですか? 大丈夫なので言って下さい。それなら言い遺したいこともありますし」
少ない貯金だけど葬式代くらいなら足りるかも。部屋にある私物は仕分けずに全処分で。

執刀医は私の手を握り、言った。(なんかドラマじみていた)
「我々は、良くなることを信じて治療をしています」
(遠くをキッと見つめて)
「頑張りましょう!」
「はい!」
雰囲気にのまれ、私も目をきらきらさせながら答えていた。

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「お疲れ様」と言われなかった

ICUに運ばれてから呼吸が不安定ということで、人工呼吸器を装着。声も出せなくなった。最後まで動いていた右手も指1本動かなくなり、ナースコールも押せない。

ICUにいても、声も出ずナースコールも押せず、助けを呼べない状態。
意識はしっかりあるのに、首から下、全部麻痺。目をぱちぱち、口をパクパクさせているだけ。

死んじゃうなら手術前がいいなあ。手術代も高いだろうし。
次に心臓か肺が止まるなら、苦しくないほうがいいなあ。

あの世から誰か迎えに来てくれないかな。
「よく頑張りました。生き抜きましたね。お疲れ様」
ストレスで疲れ果てていたから、「お疲れ様」と言われたかった。
でも誰も迎えに来てくれなかった。亡くなった祖父母や父、敬愛するブライアン・ジョーンズにも会えなかった。

まだ終わりじゃないんだ。
と思った。本心は「もっと生きたい」だったのかもしれない。

生きるのなら、きちんと生きよう。
気持ちが切り替わった。

手術を受けなくては。何が何でも手術を受けて良くならなくては。

やっと手術が決まった。11月22日(金)。早朝、地震があったのを覚えている。
長時間(6時間?)の手術だった。目が覚めた時、痺れは全身に残っていたけど、右手の指先が動いた。最後まで動いていた右手の指が最初に回復した。

成功。「あとは良くなるだけ!」自分の内からか、どこかからか、聞こえた。そうだ、あとは良くなるだけ。

首から下、全麻痺で「どんな気持ちだったか」というと、ひたすら「無」の境地。特にネガティブな感情が浮かんでくると 、即、切り捨てた。イメージとしては、はぎ取って後ろに放り投げる感じ。

「この状況でパニックにならない私、実は器がすっごく大きいのでは」
超楽天的なだけかアホなだけなのかもしれないが、自分の性質に感謝。

<続く>
(この後、ICUで異常聴覚を得たり、オーラが見えたりします!)

続きを書きました。↓


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