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初めての緊急入院、手術(2)「あなたを傷つけるものから、全力で逃げなさい」

ICUにいたのは手術前後合わせて、たぶん2週間くらい。その間、小さな音が大きく聞こえる異常聴覚を得た。

最初、やたら大きく耳障りに聞こえたのは、バリバリバリというペットボトルを握りつぶすような音。たぶん血圧を測る際のマジックテープの音だったのだろう。

検査結果の詳しい説明を受けていなかったが、主治医が少し離れた場所で他の医師と話しているのが聞こえてきた。「海綿状」で「悪性ではない」。これが神経を圧迫していたものの正体だったのだろう。

またオーラが見えるようになった。情が深く優しい看護師さんは濃いピンク色。情に左右されず、超越した優しさを持つ看護師さんはキラキラのホワイト。

異常聴覚もオーラが見えるのも、一般病棟に移ったらなくなってしまった。
異常事態だったから得られた力だったのかもしれないし、単なる幻覚、幻聴だったのかもしれない。

ICUにいた時かけられた、看護師さんの言葉。
「私たちは入院後にどんどん悪くなっていく様子を見ています! だから良くなっていくのを応援しています!」
心強かったけれど、幻覚だったのかな。

前回はこちら↓

肘が上がるようになっただけで大喜び

手術は成功。

だからといって、手術直後にぴんぴん元気になったわけではない。大学病院では、ずっと寝たきり。入院後数日で全身に広がった痺れは、少しずつ軽くなったとはいえ、いまだに残っている。痺れているため、感覚も鈍い。

例えば術後しばらくは、左手がどこにあるのかわからなかった。右手の感覚は早めに戻ってきたものの、右手が左手にたどり着かない。左手が布団の中にあるのか、布団の上にあるのかもわからない。

寝返りも起き上がりも自分ではできなかった。

入院してから、点滴や、鼻からチューブで栄養をとっていた。口から食べられるようになったのは、リハビリ病院に転院してしばらく経った2020年1月後半。話せるようになったのは、その翌月2月から。11月に入院して2ヶ月以上、食べられず話せずだった。

「お腹空いたな~。口から食べたいな~」と思いながら、スマホで食べ物の写真をチェックして、うっとりと眺めていた。

一般病棟に移ると、スマホをいじっても大丈夫に。

指先は動くものの、肘が上がらず、数文字打つのも大変。看護師さんに肘の下にタオルを何枚も入れてもらって、肘を高くしてもらい、スマホを打てるように調節してもらった。

こんな状態だったから、少し肘が上がるようになっただけで大喜び。手でグー、チョキ、パーができるようになって大喜び、動く右手が唇まで届いて大喜びだった。

↓大学病院の訓練士さんが作ってくれたスマホ・スタンド☆滑り止め付き。嬉しかった。宝物♡

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大学病院では呼吸との戦い

こんなに自分の呼吸と向き合ったことはあっただろうか。

大学病院ではベッドの上で自分の状態が数値で表示されていた。自覚症状がなくても、数値が悪くなると看護師さんが飛んでくる。

普通に呼吸していても、酸素濃度が低いといって人工呼吸器をつけられたり、個室に移動させられたりした。酸素を取り入れなければと思うあまり、過呼吸になり、逆に苦しくなることもあった。あの時、付き添ってくれた看護師さん、やさしかったなあ……。

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寝たきりだったから、大学病院で受けていたリハビリは、すべてベッド上、またはベッドサイド、たまに廊下に出て。

手、足、言語(飲み込み)のリハビリがあり、それぞれが20分。でも1日に3つがあることはほとんどなく、土日祭日、年末年始はお休み。

「くるまいす」
何がしたい?と訓練士さんに聞かれ、ヨレヨレの筆談でこたえた。無理かなと思いながら。

訓練士さんが主治医に確認してくれて、2人がかりで車椅子に座らせてもらった。座っているだけで苦しかった。

手術を終えて、気力もアップ、体も回復してきているのに寝たきり。筋力は落ちるのは早いけれど、つけるには時間がかかるという。だからほぼ寝たきりで時間だけが経っていくのがつらかった。

「早く転院したい」
リハビリ病院に転院の話が出ていたから、病院の相談員に筆談で訴えた。やっと転院できたのは年を越した1月8日。手術から約1ヶ月半が経ってからだった。

最大のストレス原因

発症の原因は不明と言われた。暴飲暴食をしたわけでも、お酒を飲みすぎたわけでも、持病があったわけでもない。私はストレスが原因だと思っている。

発狂しそうなほどのストレスを抱えていた。ホッとできる場がなく、常に緊張状態。自分が悪いのではないかと自分を責め、自分を見失い、どうしたらいいのかわからなくなっていた。

自分の判断に自信が持てなくなり、「〇〇なことがあって、××な対応をしてしまったの。私、間違ってない? 大丈夫かな?」混乱して、信頼できる友達に確認することもあった。

仕事、プライベートでもストレスはあった。今考えると、切り捨てていいことをうじうじ悩んでいた。

ただ中々切り捨てられず、ずっと怯えながら抱えてきたストレスについて、書きたいと思う。書くのもストレスなのですが、思い切って書きます。

無事に手術が終わり、ナースコールが押せるようになったことを看護師さんたちが喜んでくれていたころ。

「治ると思ってるのか! 治らないよ!」
「仕事がまたできると思ってるのか! できないよ!」
「急な階段がある部屋に帰れると思ってるのか! 帰れないよ!」

私が住んでいる物件の解約をして部屋の始末をする気満々、また「銀行口座の暗証番号を聞き出せ!」と躍起になりながら母親が面会にやってきた。看護師さんたちもびっくり。

私が口パクで言い返し、睨むと、
「睨みやがって、あの女」
大手術を乗り越えた娘を「あの女」呼ばわり。
「やめろよ、こんなとこで」母親と性格が似ている弟が制する。

狂っている。こんなことの繰り返しでも、本人は悪いと思っていない。

高校生の頃、可愛がっていた猫は、保健所に連れて行かれた。なんでそんなことができるのか。

子供のころからずっと、うまくやろうとしてきた。

だって、仲が良い親子のほうがいい。
いがみ合うより、毎日笑いながら過ごしたい。
息子夫婦もその子供たちも実家には寄り付かなくなってしまったから、せめて娘の私くらいは離れずにいないと。

責められても不愉快なことばかりでも、うまくやろうと必死だった。でももうキャパオーバー。

父親が亡くなり、感情をぶつける矛先が私に集中したこともある。

人はきっと、どんなに穏やかな性格だって、口汚く責められ続けたらカーッとして我を忘れてしまうものだと思う。

「気付いたら手が出ていました」とか、このままでは事件を起こしてしまいそうだ。

「あなたを傷つけるものから、全力で逃げなさい」

占い師をやっているのに、自分が抱えている悩みについてのアドバイスは得られずにきた。でも病院のベッドの上で、明確なアドバイスを得られた。

“どうしたらいいですか?”と、必死に問いかけていたら浮かんできたアドバイス。
あなたを傷つけるものから、全力で逃げなさい

そうか、と思った。腑に落ちた。

面倒なすべてのものから、逃げればいいのではない。向き合って改善できることもある。だけど、向き合ってもダメなこともある。ただ消耗するだけのことが。

ならば向き合うのはエネルギーの無駄遣いだ。向き合っても傷ついて消耗して問題が解決しないのならば。

振り払っても追いかけてくるなら、全力で逃げろ

「あなたは間違っている」と責める人もいるでしょう。わかってもらえないなら、わかってもらわなくていい。

汚い言葉をぶつけてこないで。傷つけないで。心が悲鳴をあげている。
長い間、怯えながらとらわれてきて、もう解放されても良くないですか。

良くなくても、もう無理なので、全力で逃げます。


<続く>

(次回は楽しくも大変なリハビリ体験について。どうやって「立つ」「歩く」ができるようになったのか。健康なときは普通にできていることが難しくて試行錯誤。)

続きを書きました。↓


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