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恋とは

人間として生きるか、

ヒトとして生きるか、

それは、人それぞれだ。


知性の限界の、その先に挑戦したいなら、

例えばそれが、その魂が選んだ道なら、

”感情”というものはとても煩わしいものになるだろう。

ものすごく、邪魔なものになるだろう。


だから、人間にはならないだろう。



もしヒトが、恋をしたら、

自らの意思によってコントロールできる範疇を超えて、感情が揺さぶられるような恋に出会ったら、

どうなるんだろう。



私はこれまでは、「ヒトのままではいられないだろうな」と漠然と思い込んでいたけど、

違うのかもしれない。

それでも、ヒトのままでいることを選んで生まれてきた魂も、いるのかもしれない。


どこまでいっても

「人それぞれ」

でしかない。





ただ、もし”感情”という、自然な反応を受け入れることを選択するなら、

知性や、本性などを、

独立したものとしながら生き続けることは、

私はできないと思う。



私は、感情を感じられる方が楽しいから、

人間を選択しよう。





「恋は下心、愛は真心」

という、よくあるその言い回しには、

「恋は悪」

という固定観念が住み着いているような気がする。




恋は、心が下にあるのだ。

心が、基盤に、根底に、あるということのだ。


だから恋は、意思ではコントロールできるものではない。






恋を経ないと、愛にはなれない。

恋する相手しか、私を傷つけてはくれない。

壊してもらって、壊してもらって、

粉々になって、チリと化して、

形はもうなくなって、

存在そのものでしか在れなくなる。



それが、”愛”という、存在そのものだと思う。



心が、意思を超えて、動いてしまうのが恋。

心は魂の宿る場所だから、

魂が惹かれるのが、恋。



恋は感情。

感情は地球を楽しむための魔法。

破壊と再生の魔法。



だから重い。心は、感情は、重い。

その魔法を使いこなしてやりたい。




私には”意思”はなく、

私の意思は、私のものではない。


魂の反応に敏感で素直であることが幸か不幸か、

「怖い」と、「壊される」と、わかっていても、

抗うことなく従っている。


魂の反応に抗っても、時間と労力のムダでしかないから。



恋を諦めることは、

成長を諦めることだと思うから、

何回傷ついても、何回心が死んでも、

飽きるまで恋をし続けるんだろうなと思う。




「魂の反応に抗わない」

それが、私の意思なのかもしれない。




読んだ?ねえ読んだ!? お金ちょーだい🥺💕