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保育園探し。

保育所待機児童数が全国上位の、激戦区に住んでいる。育休明け、娘が1歳になるタイミングで職場復帰の予定だが、年度途中に空きがでるようなことはまずないだろうから、次の4月に1歳児としてどこかへ入れたらなぁと思っている。

プランはいくつかある。

①公立の保育園で5歳まで預ける。
②地域型保育事業所に2歳まで預け、3歳から 
 は別の保育園または幼稚園を探す。
③無認可保育園に2歳まで預け、3歳から提携
 している幼稚園、または別の保育園か幼稚
 園を探す。

仮にどこにでも受かるとした場合、②が最良ではないかと思っている。いつも決まった大人が、少人数の子どもをみてくれる。大人数のところよりは多少風邪ももらいにくいかもしれない。
ただ、3歳からの転園が難しい現状をきくと、①がいいのではとも思う。転園の手続きも大変だろうし。同じところへ通い続けられたほうが本人も安心かもしれない。
③は、①②のどちらの保育園にも受からなかった場合の選択肢。でも、ここの保育園は見学の感触はよかった。企業提携してもらえれば認可より保育料が安くなる可能性もある。

親の(自分の)メリットデメリットは、経済的なこと、送迎のしやすさ、手続きの少なさなど、分かりやすい。

難しいのは娘のメリットデメリットだ。比較的裕福で教育熱心な家庭が多い地域でもあるからか、幼児教育に力を入れていそうな幼稚園もたくさんある。娘にとって、保育園のほうがいいのか、幼稚園のほうがいいのかも分からない。保育になくて幼児教育にあるものとは?
教育の目的とは何なのだろう。

私は娘にどうなってほしいか。日々を幸せに過ごしてほしい。もちろんつらい時期や避けられない悲しみもあるだろうけれど、できることなら喜びを感じる瞬間がたくさん訪れてほしいし、幸せだと思いながら過ごしてほしい。

その教育によって得られるものは、そのときの娘の幸せなのか、将来の娘の幸せなのか。はたまた、幸せとは無関係なものなのか?

3〜5歳の頃の自分の記憶を辿る。たのしかったのは、石鹸を泡立ててクリームをつくること。通園のときに近所のコリーがしっぽを振ってくれたこと。庭の石が連なったところを、巨人の歯に見立てて空想したこと。寝る前に絵本を読んでもらったこと。
たのしくない記憶もある。先生が「みさとちゃん」を特別扱いしていた。劇でトマトのお姫様役だったけれど、王子様役の子が恥ずかしがってしてくれなかった。パセリ役の衣装が可愛かったからパセリがよかった。仲良しだった、子どもながらに両想いだと思っていた「ふみやくん」が、転入生の子ともっと仲良くなってしまった。

たのしくない記憶もたくさん出てきたけれど、総じて、当時の私は幸せだったと思う。毎日たのしかった、ような気がする。

今の私は、幸せか。
幸せなんだろうな、と思う。
どうなったらもっと幸せか?
もう少し人と会いたい。自分の自由な時間がほしい。コロナ禍の育児中で、不満がある。加えて、職場復帰への大きな不安がある。将来のことを考えるのが丸ごと嫌になるぐらい。
それでも、概ね、幸せなんだろうな。

小学校、中学校では勉強で困ることはなかった。勉強がある程度できたから、今の職業に就けた。これは幸せか?お金の心配が少ないという点では幸せなのだろう。でも大変なこともある。現に今。復帰してやっていけるのか、一人前になれるのか、めちゃくちゃ不安だ。辞めてしまいたい。でもそう簡単に辞められない。

今の私の幸せは、幼児教育によるものか?
小さな頃の私が幸せだったことと、今の私が幸せであることは、結びつくのか?

娘の幸せは、私の幸せとは違うだろう。でも貧困が幸せな人は少ないだろうから、お金には困らないほうがいいのかな。勉強ができないよりはできたほうがいいのかな。芸術的な何かを身につけられるほうがいいのかな。幼児教育、受けられたほうがいいのかな。

毎日のびのび遊んで、美味しいご飯を食べて、ああ今日もたのしかったと思って眠りにつく。
そんな生活をしてほしい。いつまでも。

まずはどこかへ受からないと話にならないのに、ついついあれこれ考えてしまう。その結果、今日の娘を蔑ろにしてしまったかもしれない。娘が起きている間も、心ここにあらずだったり、携帯で調べ物をしたりしてしまった。ごめんね。

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