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冬の朝、父を想う

今日は父の三回忌です。

何度も父の句は詠んでいますが、それでも、五七五の世界で父のことを思うと、穏やかになれる気がします。

あくまでそんな気がするだけでして、うまく五七五に収まらないと、モンモンします。

ところで、今はスマホのnoteに俳句を記録していますが、突然、消えてしまうかもしれません。そこで、先日、ノートを買ってきて、少しずつ写しています。

でも、どうせ写すなら、達筆で写したいなあと思ったりもします。これまで、何度も挑戦しては挫けた、唯一のものが美文字です。

事故して、指先の巧緻性が落ちたこともありますが、できれば美文字で自分の俳句を残したいもんです。また、ボールペン字でも挑戦しようかなあ。

えっ、それほどの俳句じゃないって。そう、確かにそうです。でも、下手な俳句を作れるのは今だけです。

では、今日もよろしくお願いいたします。


除夜の鐘百八突けど父醒めず


(じょやのかね ひゃくやつつけど ちちさめず)

季語は「除夜の鐘」です。

年末に風邪をひいた父は、高齢ということもあり、念のための入院となりました。だからクリスマスも正月も病院で過ごしました。

除夜の鐘の鳴る頃には、年明けに退院しようという話になっており、除夜の鐘が鳴っても寝る体力がある父でした。

ご存じかもしれませんが、心地よく寝るには体力がいるもんです。

緩和ケア病棟にいた頃も、安定剤など服用をせずに眠れている人は、意外と穏やかに過ごせている印象がありました。

たまに、けしからん奴がおりまして、「寝てばかりでいいねえ」と病人を貶す人がいましたが、薬で強制終了させるような強引な睡眠なんかではなく、自分の力で眠りにつけるということは、幸せなことだと思います。

自分の力で眠りにつき、自分で目を覚ます。それさえ出来ていたら、死ぬことすらも怖くない気がしてきます。


「また明日」いつも通りの冬に逝く


(またあした いつもとおりの ふゆにゆく)

散歩も兼ねて、徒歩で父のいる病院へ行きました。早めの夕食をすませた父は、さっそく布団に潜り込んでいました。

「また、明日~!」と声をかけると、顔だけ布団から出して、「また明日」。

いつも通りの挨拶、いつも通りの冬の日に、亡くなりました。


冬の朝茶漬け食はずに父逝けり


(ふゆのあさ ちゃづけくわずに ちちゆけり)

季語は「冬の朝」です。

夜勤で担当だった看護師さんが、父が珍しく夜中にナースコールしてきて、「お茶漬けが食べたい」と言ったそうです。

夜中なので、明日にしましょうと答えた、と話してくれました。

もし、わたしが付き添っていたら、やっぱり明日にしようねと言っていたのかしら。それとも、お茶漬けを用意して、いっしょに食べたのかしら。

「どうして食べさせてくれんかったん」とは言いませんでしたし、やはり、最後の思いに寄り添ってくれた看護師への感謝しかありませんでした。

そういうば、緩和ケア病棟にいた時、担当の男性の方が朝方、「何か食べたい」と言いました。末期で吐血もしていました。

食べても、血といっしょに吐くだけだろうと思いましたが、じゃあ、とバナナを少しだけ口に入れてやりました。

朝方、呼吸がゆっくりになり、息をひきとりました。

妻は、最期の願いを聞いてくれてありがとうと、言ってくれました。何が正しいか誰にも分かりません。ただ、一般病棟では、絶対に食べさせないでしょう。

わたしなら、どうだろう。

最期まで点滴して、身体中が水浸しのじゃぶじゃぶになり、息苦しさの中で死ぬよりも、「おいしかった」と言いながら死ぬ方がいいと思います。

父はお茶漬けは食べれませんでした。でも、朝になって、お茶漬けを食べる自分を想像しながら死んでいったのなら、食べたのと同じと思いたいです。

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父逝くや我知らず寝る冬銀河


(ちちゆくや われしらずねる ふゆぎんが)

季語は「冬銀河」です。

わたしが寝ている間に父は独りで亡くなり、ひとり冬の銀河に昇っていったのでしょう。

朝の5時、病院からの着信に、何が起きたかすぐに理解しました。自宅から病院までは、たったの2kmです。

まだ薄暗い田んぼの間の農道を、車を走らせました。

明日には死ぬかもしれない。独りになったらどうしよう。そんな、予期悲嘆も動揺もすることなく、あっさりと父の死がありました。


寒晴よひとり生きひとり逝く父


(かんばれよ ひとりいき ひとりいくちち)

季語は「寒晴」です。

父が、独りで生きて、独りで死んでいったと捉えるかどうかは、人それぞれです。たとえ自宅で家族と居ようとも、隣で伴侶が寝ていようとも、気づかれることもなく独りで逝く人はたくさんいます。

終末期の人でも、逝く時は独りです。ただ、最期まで親しい人の声が耳に届きながら死ぬのは、さびしんぼうには慰めになるかもしれません。

父も、そして母も、家族が付き添うことなく逝ってしまいました。人は生きてきたように死んでいく、と聴いたことがあります。

さて、わたしもお一人様で逝くとしますか。


残骨灰ペースメーカのありにけり


(ざんこつはい ぺーすめーかーの ありにけり)

季語はありません。父は重い不整脈があり、ペースメーカーを入れていました。残骨灰の胸の辺りに、小さなペースメーカーが残っていました。

父を生かすために働いていた小さな機械に、愛おしさを感じると同時に、あの雨の中で、独りで死なせずにすんだ奇跡のような偶然に感謝をしました。

この句を、俳句の先輩が手直し、ブラッシュアップされました。

狐火やペースメーカー残る灰

同じ光景でも、そこに関わっていない人、第三者が作る句には、違う凄みや温かみがあります。


枯れ木めく脆き骨片となりし父


(かれきめく もろきこつへんと なりしちち)

季語は「枯れ木」です。

たくさんの人を看取ってきたわたしですが、結局、自分の両親の看取りには間に合わず、父も母も独りで逝きました。

他人である患者さんの手を握り、寄り添い、耳元で「大丈夫ですよ」「側にいるからね」と声をかけてきたのに、これも縁というものでしょうかね。

でも、看取りをしながら思ったのは、仕事であるから仕方がないにしても、他人の家族の看取りばかりして何やってんやろうと。

いかに両親との縁が薄かったのか、よく分かります。そんな縁の薄い父の骨は、脆くて、軽くて、小さな骨壺に収まるほどでした。

ここで、俳句の先輩よりアドバイス。さらに素敵な句になりました。

枯れ木めく脆き骨片父なりき

荼毘に伏して、脆い骨片となった父。ほんの数時間前までは、亡くなっていても、確かに実体はありました。でも、今はこの骨片が父なんだ、という事実を突きつけられた感じでした。


葉桜や亡父の部屋の尿のしみ
葉桜や散らぬは父の尿のしみ


(はざくらや ぼうふのへやの しとのしみ)      (はざくらや ちらぬはちちの しとのしみ)

季語は「葉桜」です。

父はすでに亡くなっていないのに、今も父の部屋の床には、うっすらと尿のしみが残っています。

父が生きていた頃には、尿失禁をして、床にしみが増えるたびに苛立ったもんです。

でも今では、そんな尿のしみさえも懐かしく思い出される、父の忘れ物です。

主役の桜が終わっても、葉桜となってわたしたちを爽やかな緑で和ませてくれるように、主役である父の姿がなくなっても、床に残された尿のしみが、わたしの気持ちを柔らかくしてくれます。


かじかみし心をほどく五七五


(かじかみし こころをほどく ごしちご)

季語がない一句ですが、わたしの心の口直しです。「かじかんだ」の方が優しく響く気もしますが、渋く。


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猫です。髭を忘れましたが、猫です。昨日の福寿草の絵は、筍に見えたり、蕗の薹に見えたり、散々でした(苦笑)。