老いを愉しむ
仕事に来ると、自分より年配の看護師さんがワサワサと働いています。
その揺れる背中のお肉を見ていると、つい、五七五にしたくなりました。
突っ込みが来そうですが、季語は無視して、詠みたいことを詠んでみました。
見えぬ背に我が来し方や老いの松
(みえぬせに わがこしかたや おいのはる)
同僚看護師の背中を見ていると、年のせいで仕方がないとはいえ、貫禄というのか年季というのか、随分、デーンと見えます。
自分には、自分の背中は見えません。でも、これまでの自分の人生を背負って、まるで、老いた松のように曲がってきたし、ゴツゴツしてきたなと詠んでみました。
失礼ですが、彼女ほど背中のゆるみはないと思っているのですが、自分の背中は自分には見えませんもんね。
ここで、季語を入れて句を練ってみました。
見えぬ背に我が来し方や松の月
季語は「月」です。「松の月」に思いを託しました。
老い木とて老いを愉しむ白木蓮
(おいきとて おいをたのしむ はくもくれん)
季語は「白木蓮」です。
年配の看護師はもうすぐ古希を迎えるそうです。でも、まだまだ現役で働いています。
退職した翌年は、所得税が高くなりますが、その税を払うために働いているそうです。
所得税の支払いのためにせっせと働いては、趣味の山登りも楽しんでいる彼女は、もしかしたら、自分のことを"老いた"なんて思っていないかもしれませんが、こっそり詠ませていただきました。
老いそめて朝朝遊ぶ俳句かな
(おいそめて あさあさあそぶ はいくかな)
最近始めた俳句のことを詠もう、と思ったのですが、「○○○○遊ぶ」の四文字を考えている時、毎朝、早くから目を覚まして俳句を考えていることを思い出し、「朝朝」です。
「朝朝遊ぶ」のリズムが好きなので、勝手にファイナルアンサーです(苦笑)。
ここで、俳句の先輩より季語は無視ですね!と再度、突っ込みがありました。少し反省。
老鶯や朝朝遊ぶ俳句かな
老鶯に自分を重ねて、朝朝に、俳句を詠んでいるとしました。
「老い」を詠んだので、絵も少し渋めを狙ったのですが、またまた微妙な椿です。やはり色鉛筆より水彩絵具が描きやすいかなあ。
ヘタの言い訳です。