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珈琲とわたしと

珈琲の味を覚えたのはお酒の味を覚えたのと同じ頃、実家を離れて京都でひとり暮らしを始めた頃だ。

田舎育ちのわたしには、喫茶店で一人珈琲を飲んだり、サークルの仲間と酒を嗜む自分の姿は、いっぱしの大人になった気分にさせてくれた。

「珈琲はだんだんと癖になる」

幕末の江戸時代にタイムスリップする医者のドラマで聞いた台詞。本当に珈琲の味は癖になる。最初はたっぷりと砂糖とミルク入り、でも、そのうちブラック珈琲の味を覚えた。

あの頃は、角砂糖の入った壺みたいな容器がテーブルの隅にあった。今ではすっかり目にしなくなったけれど、田舎の喫茶店にはまだ置いてあるのかな。

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苦いブラック珈琲を嗜みながらも、あの頃、流行っていたのが「珈琲ぜんざい」だった。

好きな人とのデート。食事をして、それから喫茶店で珈琲ぜんざいを頂く。暗くなるのを待ってから、鴨川の河原に等間隔に座る。

短大時代のわたしたち女子の憧れだった。

四年生の大学生と同じ単位数を二年間で取得しなくてはいけない、めちゃめちゃハードな日々をこなしながら、尚かつ、女子の憧れも達成したい。

タイムリミットは二年間。寝る間も惜しんで勉強し、マンドリンオーケストラの活動し、合コンに参加した。

アルバイトする暇もなく、仕送りの5万円かそこらでやりくり。珈琲一杯で粘る図太さはあの頃に身に付けた。

でも、今になって思い出すけれど、あの頃の珈琲の味は酷かった。特にお金のない学生がたむろする喫茶店の珈琲の味は、なんて言うのか、煮詰まっていた。

たまに、淹れ立ちの美味しい珈琲に当たると「ラッキー」と思ったもんだ。そう思えば、今の喫茶店の珈琲は美味しい。

いや、コンビニの珈琲だって負けてないし、たった100円だ。

そういえば、海外に旅行で行った時も、一番最初にやるのは、美味しい珈琲を飲める所を探すことだった。

なんだか、わたしの人生の傍らには、いつも珈琲がある。

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今年の夏。自宅でアイス珈琲を淹れることにハマった。アイス珈琲用の豆を買う楽しみができて、あちこちで「これは?」と思う豆があると買ってくる。

水も軟水を用意。ホット珈琲を淹れる時は、南部鉄の鉄瓶で沸かしたお湯を使っていた。でも、ネットで調べたら、アイス珈琲は軟水とあった。

五杯分のアイス珈琲を作って、それを二日で飲んでしまう。そのせいか、最近はトイレで目が覚めることが増えて、すっかり不眠だ。

早くアイス珈琲の美味しい季節が終わらないかなあ。寝不足で、やらかす前に。


イラストは、amanoccoさんのものです。  今日は、アイス珈琲は朝の一杯だけ。あと、ランチの時にホット珈琲を一杯。さてさて、今夜のトイレの回数は? 患者さんには、「トイレ歩行はリハビリやね~」と言ったけれど、夜間はアカン。