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年を取るって、悪くない

年を取ることに抵抗感バリバリで、反発しまくりだった頃もある。もちろん、今だって、肌や髪のお手入れには気をつかう。

でも、それって、年を取ったと見られるのが嫌というよりも、もちろん、そんな気持ちもあるけれど、それよりも、自分と一緒にいる人に対する"気くばり"みたいなもんだ。

「年寄り」=「汚い」とまでは思わないが、だからと言って、汚いまんまは嫌だ。そこのところは、譲れない。

小綺麗なお年寄りでいたい、と思っている。あんまりハグとか好きではないけれど、手も繋いでもらえない年寄りにはなりたくない。

ところで、年を取るにつれて、親の気持ちが少しずつ分かるようになった気がする。

ほんの少しだけど。

娘のわたし、親が死んだ年齢を越すまでは、親の後追いをしている。

「還暦を迎えた両親って、じいさん婆さんと思っていたけど、気持ちは若いときのまんまやなあ」

自分の目を通して、両親が見ていたであろう景色を見てみる。もっとくすんだ世界を見ていたと思っていたけれど、意外と明るいし、希望だってある。

何より、生きることや死ぬことへの不安が、思っていたよりも少なくて安心した。

だって、母は、わたしの今の年齢から10年も経たないうちにくも膜下出血を発症、それっきりだ。

でも、今のわたしには、未来の不幸に対する不安なんて、ゼロとは言わないけれど、夜も眠れないほどでもない。意外と能天気に暮らしている。

だから、きっと母だって、施設を慰問して、大好きな踊りを披露しては喜んでもらう。    そんな人生を楽しんでいたんだろう。

能天気に暮らしていたから、くも膜下出血を発症したときだって、「踊りの練習に行かんといかん」が最期の言葉になったんだろう。

激しい頭痛に見舞われながら、踊りだなんて前向きな言葉、もう踊るどころか脳が壊れて何も出来なくなるかもしれないのに。なんてバカなの!

看護師のわたしは母の血圧を測って、状況を救急隊に説明しながら、何も分かっていない能天気な母に苛立っていた。

母の未来に絶望しか見えない娘のわたしと、いつもの頭痛と思ってこれからの予定を思い描く母と。

あと10年もしたら、母が最期に見たわたしの姿が見えるのかな。

もう、母が正気で話すことはないと理解し、冷めた目で、自分を見つめる娘のわたしは、母の目にはどんなふうに映っていたのかな、母はどんなふうに感じていたのかな。

・・・・・

何もかも、想像でしかない。それでも、年を取るって悪くない。なぜなら、無慈悲だった自分を反省し、人への思いや理解が深まり、自分に優しくなれるから。

ただ、両親が死んだ年齢を追い越した先に、わたしは何を見るのかな。わたしは今よりも慈悲を宿した目を持っているのかな。

分からない。分からないから想像する。

何だか、そこから、わたしにとっての未知の世界が始まる気がする。怖いし、同時にワクワクする自分がいる。

やっぱり、年を取るって、悪くない。