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凍蝶

人間の世界では、新たに変異したウイルスがどうとか騒いでおりますが、猫の世界は落ち着いたもんです。

少しは猫の堂々とした無頓着さを、わたしら人間も学ぶとよいでしょう。

コンテナ不足とかで、モノの値段が高くなってきているようです。輸入に頼ってきたツケと捉えて、今は粛々と、日々の生活を続けることに専念しています。

ただ、食事はどうとでもなりますし、我慢もできます。しかし、ガソリンが輸入されなくなったらお手上げです。車がないと今の暮らしは維持ができません。

田舎に住んでいるから、公共交通機関が利用できないと指摘されそうですが、住む場所はそう簡単には変えられません。

早朝、ものづくりのために、山に向けて車を走らせていますと、農業用のハウスを温める「ゴー」という音が聞こえてきます。

重油や灯油がハウス栽培される野菜や花木の保温のために使われます。いいものを、他の生産者より早く出荷したいという農家の人の気持ちも分かります。

何故なら、我が家も農家でしたし、わたしも幼い頃から農業を手伝ってきました。

よりいいものを、より早く。

でも昔は、日照状態を観察しては、こまめにハウスの天窓やまわりの窓を開けて風を通したり、人間の手をかけていました。

でも、今は農業もスマートになって、綺麗な格好で働く人が増えましたし(モンペ姿の人は減りました)、空調管理もバッチリです。

でも、あの広大なハウスを温めるには、どれだけの重油や灯油が必要でしょう。もちろん温泉地帯では地熱の活用もあります。

ただ、よりいいものはwelcomeですが、より早くという気持ちを諦めたら、もっと環境に配慮した農業ができる気がしてなりません。

そんなことを、のんびり昼寝をしている猫を見ながら考える、のんびりなわたしです。


うたた寝の猫の鼻先凍蝶よ
凍蝶や猫と目があい凍りつく
空腹の静止モードか凍蝶よ

季語は「凍蝶」でして、「いててふ」と読みます。この言葉に出会ったときは、あまりの美しさに心が「いてて」となりました(笑)。

これは俳句ではなく川柳ですと、突っ込まれそうな句ですが、自由に詠んでみました。

それから、「助詞」が苦手でして、耳に心地よい助詞を置いてあるので、意味がおかしくなっているかもしれません。思い起こせば、学生の頃から国語が苦手でした。


次の句は、過去の体験の句です。

クリスマス褪せたセーター編み直す
ほどいてはまた編むセーター聖夜かな
ほどいてはまた編むセーター宇津田姫

季語は「クリスマス」「聖夜」「宇津田姫」です。

冬の女神を意味する季語に「白姫」を見つけました。でも、どうも自分のイメージと白はピッタリきません。

そこで冬を表す色を冠した「黒姫」を見つけました。しかし、ブラックな人間に露骨に    ブラックは面白味に欠けます。そこで別名の「宇津田姫」にしてみました。

毎年、編んでは渡せず仕舞い。クリスマスにほどいては、また編み直し始める。

この毛糸には、深い怨念が編み込まれているようで、貰った人は重たくて着れませんね。

実は、わたしも若気の至りのお年頃に、手編みのセーターを送ったことがあります。

めちゃめちゃ力を入れて、一玉がうん百円もする高級毛糸を何個を使用。しかも、ギッチギチの模様編み。試しに着たわたしも、その重みにヨロリ。でも、これがわたしの愛情の重みだと勘違いしておりました。

セーターを着てこない彼。

理由を聞くと、サイズは馬鹿でかいし、くそ重たいし、着れないと。

そそくさと取り返し、燃えるゴミとして処分しました。プレバトの「ボツ」の俳句と同じように、わたしのプライドにかけて、後世に残してはいけないという決断でした(苦笑)。


少し、ブラックに偏り過ぎたので、ここから母との思い出で締めくくります。

手を伸ばし柿もぎる母試験前
瓦屋根足摺りもぎる次郎柿

季語は「柿」です。中学受験をしたわたし、夜の9時まで塾に行って、帰宅してからも、遅くまで勉強をしていました。

わたしの部屋は2階にありました。母は廊下から軒先の瓦屋根に降りて、柿をもぎっては皮を剥いてくれました。

ちなみに、「足摺り」は冷えた瓦屋根の上、悴む足を摺りながら母が柿をもぎっている、そんな光景を詠んだものです。

確か古典に「足摺り」ってありました。島に取り残された者が、足摺りしてましたね。

秋とはいえ、夜中には瓦屋根も冷えて、悴む足を擦りながら、昼間に目星をつけておいた柿を取ってきてくれた、母の思い出です。