幸せになるきっかけ
ふと耳にした言葉が気になって、ずっと心に心に残って、自分に沁み込んで同化するまで忘れられないことがあります。
「幸せになるきっかけ」もその1つです。
何てことない言葉です。でも、もしかしたらわたしは、そんな幸せになるきっかけを見過ごしてきたんじゃないかしら。
もしかしたらわたしは欲張りすぎて、幸せのきっかけを掴み損ねたんじゃないかしら。
もっと小さなものにも、目も耳も、傾けたいと思いました。
渋柿を干すや真つ黒蝿集る
(しぶかきを ほすやまつくろ はえたかる)
なんて、しんみりと書き出しておいて、初っぱなから蝿です(笑)。
季語は「柿」「渋柿」です。ただ、「蝿」も夏の季語です。見事な季重なり也(苦笑)。
わたしは吊し柿が大好きです。渋柿から渋が抜けていって、でもまだ、半熟の卵みたいに柔らかい半熟吊し柿が好きです。
ただ、軒下に渋柿を干していると蝿が集ってくるのが堪りません。
とはいえ、最近は公衆衛生も進んで、前より蝿も減ったかもしれませんが、それでも蝿を侮ってはなりません。
いまだに軒先にぶら下がっている渋柿たち、大丈夫ですか~
からの、俳句の先輩からの突っ込み。推敲のいきさつはコメント欄にありますが、そこからのファイナルアンサーです(苦笑)。
柿干せばやをら集まる秋の蝿
(かきほせば やをらあつまる あきのはえ)
季語は「秋の蝿」です。柿をほしていたら、やおら蝿が集まってきますという句です。
猫恋し人なほ恋し冬の夜
(ねここいし ひとなほこいし ふゆのよる)
季語は「冬の夜」です。ところがどっこい「猫」も季語になるようですが、猫単独ではギリギリセーフでしょうか。
暖房がなかった昔も、今も、猫も人も恋しくなるのが冬の夜と思うのですが、如何に。
ちなみに、わたしの歳時記に犬はありませんでしたが、やはり冬の夜は猫ですね。
初詣「同じやきね」の声甘し
(はつもうで 「おなじやきね」の こえあまし)
季語は「初詣」です。
高校三年の元旦、図書館で知り合った他校の男の子と初詣に行きました。
隣で手を合わせていた彼が「同じやきね」と笑顔で言っていました。でも、同じって何?と隣のわたしは確認しませんでした。
東京の四年制大学に行く彼と、京都の短大に行くわたし。「同じやきね」という甘い声、嬉しくもあり、悲しくもありました。
初詣「同じやきね」の声に醒め💦
(はつもうで「おなじやきね」の こえにさめ)
とまあ、こちらが現実でした。
出来ることなら、「甘し」や「醒め」などを使わずに、状況を示すことで表情したいが、どうしても思い付きませんでした。
幸せになるきつかけの絵馬飾り
(しあわせに なるきつかけの えまかざり)
季語は「絵馬」です。絵馬に願掛けしても、幸せになるには自分が一歩を踏み出さないといけません。
それでも、絵馬に向き合う。その時間を持つことが、"幸せになるきっかけ"になることもあるかもしれません。
あなたにとっての、「幸せになるきっかけ」とは何でしょう。
叶ふまで書きたる絵馬の文字の念
(かなふまで かきたるえまの もじのねん)
知らなかったのですが、絵馬って願いが叶うまで、何度も書いていいんですね。
個人情報保護の問題もありますので、絵馬に詳細は書けませんが、せめて、書いた日付を書いてあげないと、神様もどの絵馬が先か、分からなくなりそうです。
二年目の距離となりたり花の春
(にねんめの きょりとなりたり はなのはる)
季語は「花の春」です。
なんやかやとありながらも、わたしにだって二年目を迎えた恋もありました(笑)。
長続きしないわたしですが、それでも、祝!二年目に突入した時には、「これが二年目の距離感か」と感動しました。
さいごに、今の心境を詠んで終わります。
ひとつきの距離となりたり五七五
(ひとつきの きょりとなりたり ごしちご)
あらら、季語がないですが、これが俳句との出会いからひとつきのわたしです。