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生活言語と学習言語

英語を一生懸命勉強してきた。浪人して、国際系の大学に入学した。
英検準1級、TOEIC920、IELTS 7.0を取得した。
そんな私の英語能力はとってもいびつなことになっている。

英語は私にとって学習言語だった

浪人期間に受験英語を叩きこんだ私は、その時からすでに頭の中の語彙がアンバランスなことになっていたと思う。森林破壊を意味する"deforestation"は知っているのに、部屋が汚い"messy"は知らなかった。

大学では英語で授業が行われ「死刑制度についてどう思うか?」みたいな母国語でも考えるようなことが難しいトピックにも英語で取り組んだ。とにかく学問で使う英語ばかりを勉強してきたので、英語資格試験で困ることはない。現在は英検準1級、TOEIC920、IELTS 7.0を保持している。
でも、問題はここからなのだ・・

日常英会話が難しすぎる

上記のようなスコアがあるので、私の英語能力に対する周りの人の期待値はとっても高い。私はそんな期待をすぐに裏切ることになる。

私は日常英会話がとっても苦手だ。もはや苦手とかいう気持ちの問題ではなく、日常で使う語彙が少ないので英語の生活言語能力が極端に低い。英語を母国語にする人で考えたら、多分「小学生レベル」くらいだと思う。
一方、論文やビジネスピッチなどで使う英語の学習言語的にはあまり問題がないので、「土台のないマンション」みたいな状態になってしまっている。

日常会話=自分革命?

じゃあ日常英会話を身に付けたら?と思うだろう。でも、これがめちゃくちゃ難しい。ドラマとか、youtubeとか観て日常的に使われる語彙を増やしていくことはできるが、「話せる自分」を育てるのはなかなか大変なのだ。

生活言語能力って文脈(コンテクスト)が大事で、その人の性格とか考え方とか人とのかかわり方とか、その人の根幹に大きく依存すると思っている。だから、そもそも日本語でそんなに良く喋るタイプじゃない人が、母国語で言わないことを英語でだけ言えるはずがない。

日常会話を学ぶということはその言語の文化に「自分のアイデンティティ」を形成することでもあると思う。英語の文化の中に「その服かわいいですね!」みたいなことを言う性格を形成しなければ「話せる自分」はなかなか出てこない。ほんとに自分革命みたいなことが求められる。ある程度社会人(a member of societyという意味で)としてのアイデンティティがすでに形成されていて、しかも非英語圏で生活している者としてはとっても難しさを感じている。

という長いつぶやき。



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