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直感というサイエンス
私は人生の選択において「直感」を大切にしている。高校受験の時通っていた塾でも、答えの選択肢で迷ったときは直感的に正しいと思うものを選ぶべし、と言われてそうしてきた。
これまでの人生直感に従って良かったと思っているし、テストだって結果直感で選んだものが正解ということも多かった。
で、それってものすごく理にかなったサイエンスかもしれないと思った。直感ってその人の経験知というものすごいビッグデータを総動員したものじゃないか?と。
ちょっと話がずれてしまうかもしれないけど、言語の習得でも同じようなことが想起される。
私にとって英語は外国語だが、英語の複雑な文法問題を解くときには残念ながら「直感」の技を発揮することはできない。身に付けた知識を意識的に思い出しながら「あれだったかな?これだったかな?」という逡巡が求められる。一方母国語である日本語の文法問題を受けたとしたら、そういう思考を巡らせる必要がないし、なんなら「理由はうまく説明できないけれど正解は絶対にコレ」くらいにたやすく答えにたどり着くことができる。いまさっと作ってみた問題だとこんなイメージ。
※ ( )内には【が】か【は】のどちらかが入る。
・今年の誕生日にはパソコン ( ) ほしい。
・スマホはいらないけど、パソコン ( ) ほしい。
・今はスマホじゃなくてパソコン ( ) ほしい。
すぐに答えがわかるのは、まだ言葉を持たない赤ちゃんの頃から膨大なサンプルが脳内に蓄積されていて、かつそれを一生忘れることのないように長期記憶の中にしまってあるからではないだろうか。
「直感」についても同じようなイメージを抱いている。生まれてからこれまでの無数の経験によって得た知識や知恵のストックが脳内で整理されていることによって、物事を判断したり解決したり必要なときには思考を介す必要のないくらいのスピードで取り出すことができる。うまくその回路が説明できないのは、データの拡張子がもはやことばではないから。
「どうやって決めたの?」と聞かれて「なんとなく」と答えると信用されないというか科学的(論理的?)でないように聞こえてしまうけど、その「なんとなく」もれっきとした科学かもしれないよという話。
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