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私のアメリカ着床前診断+不妊治療の今

ダラダラになるかもしれないけど、これまでの治療をまとめてみる。
遡ると2023年の秋ごろに、不妊治療を開始した。超音波検査、MRI、血液検査からの遺伝子検査、卵管や卵巣のチェック等々した。結果私は治療(手術)が必要なことがわかった。

手術は結構悩んだ。悩みすぎてちょっとパニック気味になった。仕事中もソワソワと今後のことばかり気になってあまり身が入らなかった。

ちなみに私は米系会社に勤めているが、渡米後一年半ほど経ってから勤めてる会社のレイオフを経験した。めちゃくちゃ頑張って、昇進の話も出ていただけに本当にショックだった。アメリカの洗礼を受けたと言えばそうなんだけど、この時に頑張ってもどうにもならない不運があるんだなと、心の底から実感した。

この時仕事はいつでもなくなる可能性がある事を経験していたので、保険があるうちに、手術や治療は必要な時にやらないといけないと体で学んでいた。突然保険がなくなるとアメリカで生活するのは本当に困る。

そしてお金は後で稼げるけど、過ぎ去った時間は戻せない。
もしこのタイミングで治療をしなかったら、手遅れになるかもしれない。
今やらないといけないと本能がアラートをあげていた(気がする)。そんなこんなで休みをとって治療をする事にした。

休職期間に手術し、採卵をして、顕微授精し、冷凍胚を作るところまではやった。14個の卵子のうち、4個が正常な胚になり今冷凍保存されている状態だ。
アメリカは着床前診断が可能なので、4個できた胚の性別もわかるし、いつでも胚移植はできる。

ただ今は日本に一時帰国する予定や、本当に子供を育てていけるのかなどの不安がああるので、胚のTransferまでは進めていない。子供は可愛い、産んで後悔する人はいないというのはよく聞く。でも、一歩が踏み出せない。

要因はいくつかあるけど、一つは自分の過去にあると思う。
自分の家庭環境は決して良いとは言えないものだった。私は父親から暴力をふるわれてて、父の気に入らないことがあるとすぐに殴られた。父は言葉で説得する能力がなかったのか、余裕がなかったのか、暴力OKな時代に育ったからかいつもそうだった。一生懸命生きてるんだろうけど、自分のこと意外は関心がないようなそんな親だったと思う。(特に父は)。要するに自分もその遺伝子をついでて、そうなるんじゃないかと怖いのだ。

母親は考える事、戦う事を放棄してたタイプで、何かあったときは泣いて父親の愚痴など私によく言ってきた。私は父親が嫌いだったので、なぜ離婚しないのかいつも母親に尋ねていた。私から見て、いつも同じような内容で喧嘩を繰り返しつつも、それでも別れない。そんな親が嫌で仕方なかった。またいつも一言失言が多い親が恥ずかしかった。

もし自分に子供が出来たらしっかり育てないと!という気持ちがさらにプレッシャーになってるのかもしれない。そんなふうに思った、

親にしてもらえなかった事を後悔してるとか、怒ってるわけじゃない。
ただ自分も同じようになるのが怖い。ならないように努力するしかないんだろうけど、いうは易し。Commitがないとどうしても負のループを終わらせるのは難しい。

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