面倒くさイズム
「問題を生み出すのは、人や現象ではない。思想だ。」
誰かがそう言っていた。
つまるところ、自分の考えが相手や目の前の出来事を嫌なものとして捉えるから結果的に不快な思いをすることになる、ということだ。
だから、極論をいってしまうと人生を苦しめるのも、豊かにするのも「思想しだい」ということになる。
僕はその主張をおおむね認める立場にある。
なぜなら、今までの僕の人生を支配し、僕の価値判断に大きな影響を与え続けている「思想」の存在を僕はひしひしと感じているからだ。
「その思想」は僕の生き方そのものの中核をなしており、僕の世界をつくりあげているといっても過言ではない。
その思想とは、「面倒くさイズム」である。
「面倒くさイズム」とは、端的にいうと「面倒くさいことをとことん避けて通ることを人生の中心に据える考え方」のことである。
僕はこの思想のおかげで、夏休みの宿題を夏休みの内に終えられたことはないし、レポートを徹夜して書かなかったこともないし、締め切りを守れたことも数えるほどしかない。
しかし、もう30歳が視野に入ってくる20代後半の僕は、ついにこの「面倒くさイズム」からの脱却を考えるようになった。
なぜなら、「面倒くさい」という思いを突き詰めると、「生きること」がつらくなるからだ。
「生きる」ってとても面倒くさい作業である。
でも、そんなことを言っていると、楽しかったはずの趣味や遊びさえも苦痛に思えてくるから不思議だ。
生きるのは面倒くさい。
でも、だからといって死を選択するのはもっと面倒くさい。
だから、どうせ生きるのだったら最低限、楽しんで生きたくはないか?
僕はそうしたい。
そのためにも、「面倒くさい」を楽しめるようになりたいのである。
ということで、僕は「面倒くさイズム」の克服を2021年の目標に据えることにした。
どうしたらいいのか、よくわからないが。
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