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認知症の母が、みそ汁を作ろうとしていた


私が夕飯に使おうとしていた具材を無残に切ってるのを見て、簡単に頭に血が上って怒ってしまった。

向こうとしたら、せっかく何か作ってあげようとしたのに、怒られるなんて不条理だろうなと思う。

ここ二年の間、母が包丁を持ったのはこれが二度目で、前回も作ったのはみそ汁だった。量は二人で三日かかる感じで、味はしょっぱすぎて飲めたものではなかった。

それでも自分から料理をしようとしているなら、させるのが本人にとってはとても良いことだと思う。それが分かってるだけに、余裕のない自分が辛い。

「具材がもったいない」「片付けるのがめんどくさい」「…褒めて、また冷蔵庫を荒らされるのが辛い」……いくらでも言葉が湧いてくる。ひどい本音だ。

仕事から帰ると、冷蔵庫の中身が色々出されていることも、冷蔵庫が開け放しの時もある。真夏にも(この時は怒ると言うより、泣いてしまった)。

母は、料理がしたいのだと思う。でも、私は『何でこんなひどいことするの』と思ってしまう。

ご飯後の片付けもやると言ってくれる。だけど、握力があまりないので汚れが落ちず、結局また後で洗うことになる。しかもその時には、汚れがこびりついていて簡単には落ちない。

最近では、一度汚れを落としたものをまた洗い場に置いて、それを洗ってもらってる。
料理もこうすればいいのかもしれない。

野菜を切りやすいように切っておいて、お水もお鍋に入れておき、お味噌も小皿で置いておく。

料理番組のようだと少し笑った。
だけど、これを実行すると思うだけで、胸が苦しくなる。

おそらく、何か作ろうと思った母は、用意する前に冷蔵庫からいろいろ出してしまう。私の方で用意して紙でラベルを貼り、冷蔵庫に置いておいても、残念ながらそれを選べない。

『ここに〇〇があります』『××はしなくていいです』等、紙に書いておいたことを、ここ1年は読んでくれなくなっている。
字が読めなくなってる訳ではない。ただどんなに大きく書いても、目に入らなくなっているんだろう(紙はゴミ箱に捨ててある)。

母が行動を起こす前に用意しておくには、私が30分~1時間早く帰らなければならない。ただでさえ時短でろくな仕事がなく、以前の5分の一程度の収入しかない自分には難しい。

それにすべての仕事を辞めて、これ以上、母と向かい合っているのも精神的にキツイ。

子育てにも同じよう話を聞くことがあるが、子供は育つ(そうなればそうなったで、別の問題が起こるのだろうけど)。介護は終わりが見えないキツさがある。

時々、叫びたい。お風呂に頭まで潜って叫んだこともある。これは少しすっきりする。

ひとりカラオケでも行きたいとずっと思ってるけど、なかなか機会が作れずに、今年が終ろうとしている。


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