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高校球児が、丸刈りじゃなくなる日

今年初めて、高校野球をテレビで観た。
このところは休日も予定があったり試合が雨で流れたりで、なかなか中継を観れる機会がなかった。

ここ数年で、高校野球はずいぶん変わった気がする。
昔は1人の絶対的エースが全試合投げ切るのが当たり前だったが、最近は選手のケガを考慮して複数人の投手が分業で投げる高校が増えてきている。
もちろん未だに変わらない悪習や前時代的な価値観はまだまだあるけれど、少し前なら見過ごされていたことも「これって実際どうなの?」と議論の対象になってきているあたり、どんどん環境はよくなってきているのだろう。

「坊主頭」をやめた学校

こうした変化の中で特筆すべきものは、高校球児たちの頭髪だ。
坊主頭じゃない高校が、増えている。
それも、遊び半分の弱小校じゃない。甲子園に出るような、強豪校がだ。

神奈川県の慶應義塾高校は2018年に夏の甲子園大会に出場した際に、「部員全員が坊主じゃない学校」として話題になった。
菊池雄星や大谷翔平の母校である岩手県の花巻東高校では、2018年の夏の甲子園敗退以降、部員の「坊主強制」を撤廃している。
それ以外にも北海道の旭川大高校、秋田県の秋田中央高校、茨城県の土浦日大高校、愛媛県の済美高校などが「髪型自由」のルールを採用している。

とはいえ、こうした選択をとっている学校は少数派で、全体で見れば坊主頭がまだまだマジョリティであるのもまた事実。
2019年夏の甲子園大会に出場した49校のうち、全体の87%にあたる43校で選手は丸刈りにしているというデータが出ている。
さらに驚くべきことに、それらの学校のうちで「坊主強制」の高校は7校のみ。それ以外の学校では、選手が自主的に丸刈りにしているのだという。


いくつかの高校が坊主強制を撤廃する最大の理由は、野球人口の減少だ。
日本高等学校野球連盟が発表しているデータによると、全国の硬式野球部員人口は平成26年の約17万人をピークに減少に転じ、現在(令和3年)には約13万5000人まで落ち込んでいる。

野球人口の減少には、少子高齢化やスポーツ人気の分散化なども当然背景にはあるだろうが、「坊主にしなきゃいけない」というのは、生徒が部活動に野球を選ぶ上で想像以上に大きなディスアドバンテージとなっているのは事実である。

実際、僕の中学の同級生でも「坊主が嫌だ」という理由で、(僕よりずっと野球が上手かったにもかかわらず!)高校では野球をやらなかった人が何人もいる。

そもそも、なんで頭を丸めるの?

日本において、丸刈りが一般に浸透したのは明治時代のことである。
当初は軍帽を長時間かぶり続けなければいけない軍人の間で、衛生面と頭髪へのダメージの軽減を理由に頭髪全体を短く刈り込むのが流行したのがはじまりといわれている。
さらに、小学校・中学校のあいだで学生帽が普及したことを契機に、教育方法に軍隊的手法が導入されたことも相まって、男性児童の丸刈りは全国的に推奨されることになった。

高校野球において丸刈りが強制・推奨されている理由については、有力かつ説得力ある証拠を見つける事はできなかったが、考えられる理由としては「清潔面・安全面」「精神論」「同調圧力」「外部からの要望」などが挙げられる。
「坊主にした方が野球が上手くなるから」という理由はない。当然だが。

野球は、スポーツの中でも常に帽子を被る数少ないスポーツである。炎天下の中でプレーする際は汗で蒸れて、衛生面の問題や熱中症の危険があることから、放熱がしやすい短髪が合理的であるとされ、丸刈りが推奨されるというのが理由の一つだ。

逆に言えば、万人に納得のいく説明ができるのはこれだけ。それ以外は「今までずっとやってきたから」「坊主にする根性さえ無い奴が、選手として大成できるわけがない」みたいな、根拠もへったくれもない理由ばかりだ。


とはいえ、人間の群集心理というのは恐ろしいもので、こうした「伝統」とか「同調圧力」の力はすさまじく、なかなか抵抗できないものなのである。

僕の場合、高校の野球部で坊主は強制ではなかった。大会のなかった晩秋~冬の間は髪を伸ばしてもいたが、春から秋口にかけては「まあみんな、頭は坊主にするよね?」という風潮が当たり前のようにあった。
大会前には部室においてあるバリカンを使って、チームメイトの髪を剃り落としたり、自分が頭を丸めてもらったりしていた。

おそらく、ほかの「規則ではないけど、みんな坊主にしている野球部」も、似たような感じなのだと思う。
「先輩がやっているから」とか「そっちの方が気合が入るから」等の理由で、もしくはそれすらない暗黙の了解として、自発的に頭を丸める。

こうした高校野球全体に蔓延する空気とか風潮みたいなものを脱却するには、確かに「規制を設けない」だけでは不十分だ。
もっと強く「坊主にするのは禁止とする」くらいの強制力をもってアクションをしていかないと、現状を変えるのは難しいだろう。

無意識のうちに「丸刈りの球児」を期待してるのかも

加えて、当事者だけでなく「コンテンツとして高校野球を楽しんでいる人々」もまた、こうした空気感を作る一端を担っていると僕は思っている。

運動系の部活動の中でも、高校野球は特に「部外者のファン」が多い。
新聞社やテレビ局、広告会社なんかが長年かけて作り上げたブランドイメージの甲斐あってか、高校野球はわが国において「中高生の部活動」を超えた人気を博している。

一般的な高校球児のイメージというと「ユニフォームを泥だらけにしながらグラウンドを駆け、大きな声であいさつをする。帽子を脱いで汗をぬぐう頭は、全体的に短く刈り込まれている」って具合だろう。
思い付きで書いたものだが、大きくは外していないはずだ。

高校野球を楽しむ人は、彼らが無意識のうちに持っている「高校球児像」を実際の選手たちに期待している。
だから、坊主ではない球児を目にしたとき、嫌悪感とまでは言わないものの違和感を持つ人は少なくないのではないだろうか?

「高校球児は坊主じゃなきゃ嫌だ」とまで言う人は少数派だろうが、長い髪の高校球児を見て「あれ、珍しいな」と思う人が多数派なのではないだろうか?

決して、こうした固定観念を持っていることを糾弾したいわけじゃない。
僕だって、自分なりの「高校球児像」期待している一人なのだから。

けれど、自分の中にあるイメージが古い価値観のまま、ずっとアップデートされていない可能性を考えることは、現状をよりよくしていくうえで大切になってくると思うのだ。


この間、母校の野球部の試合を久しぶりに(リモートで)見たら、選手の髪がフサフサだったのを見て驚いた。
いつの日か、世間がイメージする高校球児のビジュアルが「坊主頭」でなくなる日が来るのかもしれない。



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