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目的:手段≠1:1

「20代のうちは限界まで働け」とか「圧倒的な量をこなせ」という主張をたびたびSNSで見かける。ぼくも概ね同意するし、その手の言説を目にする度に「そうだよなぁ、もっと頑張らないとなぁ」と一応は思うわけである。

一般的に「世間で成功した」とされる人のほとんどが、キャリアのどこかしらの段階でエグいくらいのハードワークを経験している。それは個人の書籍や取材記事を通して簡単に知ることができるし、それなりに再現性のある結果だということは統計的にも理屈的にも筋が通る。

Outstandingな結果を出したいと思ったら人並みの努力だけでは論外で、人の倍、3倍、4倍と量をこなして初めて、勝負に参加する権利を与えられる。スポーツやビジネス、あるいはクリエイティブの世界で特によく聞く理屈である。
概ね同意だ。取り立てた才能のない奴が身の丈以上のものを手に入れたいと思ったら、多少ムリしてでも背伸びしないとどうしようもない。

そんなことを考えていたら、ある日「ハードワーク=ストイックに一心不乱に打ち込む」という図式を、ぼくが無意識の前提として適用していることに気づいた。

ハードワークとは事象であり、第三者が観測可能な結果に過ぎない。1日に2万字文章を書いたとして、楽しんで書こうが苦しんで書こうが、結果としては同じ「2万字の文章」が残るだけだ。
一つの結果に対し、そこに至る過程や手段は複数存在する。にもかかわらず、「ハードワークするなら苦しくなきゃいけない」と勝手に思い込み、誰にも頼まれていないのに縛りプレイを始めてしまうのである。

その思い込みは何に由来するのか。親の影響かもしれない。学校教育の結果かもしれない。それが何であれ、もしあなたがある目的Aに対して「Aを実現するならBしかない」と無意識のうちに手段Bを固定しているなら、知らず知らずのうちに人生をハードモードにしている可能性がある。

なんでこんなことを言うのかというと、他でもないぼく自身が長い間ストイックであろうと”無駄な”努力を続けてきて、その結果大してうまくいかなかったからだ。
人の気質はそう簡単には変わらない。ぼくは生来怠惰な人間で、求道者のような禁欲的なライフスタイルは似つかわしくない。それを憧れとか謎のこだわりとかで「自分もこんなふうになりたい」と勘違いをしてしまい、結果として燃費の悪い頑張り方をしてしまうことが、これまでの人生でしばしばあった。
(まあ、同時代にイチローとかいう超人がいたのがいけないんだけどね!!!)

ぼくは長い間、自分を変えようと努力してきた。でもそれは激流に身一つで逆らうようなもので、それならむしろ、自分の気質に逆らうことなく欲しいものを手に入れられる手段を考えた方がいい。そっちの方が、よりハッピーでいられる。




とまあ、こんな感じで、これからどんどんアウトプットの機会を増やしていく所存でございます。
これを読んでいる方の中にリアルで接点がある方がいらっしゃったら、もしぼくがストイックモードを選びそうになったら「おいおい、君はそっちじゃないぞ」とツッコんでやってください。

あなたのちょっとのやさしさが、わたしの大きな力になります。 ご厚意いただけましたら、より佳い文章にて報いらせていただきます。