バンコクで見た、ゆるい景色と人たち
パートナーがインドにヨガ留学に行くことになり、そのトランジットでタイ・バンコクに3日間滞在することになり、わたしはニューヨークから帰ってきたばかりだし、2月に家族とベトナム旅行あるから、一緒にタイに行くなんてアイディアは全くなかったのだけれど。
パートナーが通う家の近くのヨガ教室について行ってレッスンを受けた時に先生にふと言われた「希さんもタイまで一緒に行けばいいのに〜」に感化されて勢いで航空券をとった。(笑)
バンコクは高校1年生の秋休みに父と2人で行った時ぶり。10年以上前だ。覚えているのはスコールの後の湿気とゾウ使いのワイルドさ、オイルマッサージの後に両脚を虫に食われたこと…。そして辛くて美味しいご飯とそこに連れて行ってくれた父の知り合いたち。
旅を共にする人が変われば旅のスタイルが変わり、見える景色や感じるものも変わることは経験済みではあるものの、今回の旅でそれを再認識することになった。
何と言っても目玉はAirbnb Experienceのツアー。コロナ前はわたしもホストとして東京でSMASH CABARETツアーやZERO WASTEツアーを実施していた。顧客として体験するのは初めてで非常に楽しみにしていた。
自転車でバンコクの隠れスポットを巡るツアー。英語のツアーのため日本人の利用者は少ないのかもしれない。一緒に参加したのはアメリカからのカップルが2組、フィリピンと中国から1名ずつ、そしてわたしたち2名の計8名。車輪の大きなギアがたくさんついた自転車にまたがって、特に難しい説明もなく始まったツアー。
自力では絶対に訪れることの無いであろうエリアをひたすらチャリで駆け巡った。タイの仏教とポルトガルから入ってきたキリスト教が融合した姿がよく分かる教会や、税金対策のためにバナナの木をたくさん植えている緑豊かなエリア、細い川の横をヒヤヒヤしながら通ったり、家々の隙間を通りながら窓を開けっ放しにした家の中で月曜の昼間なのにゴロゴロしながらスマホをいじる人たちを見たり。
次々と変わる景色に心が高鳴り、立ち止まって写真を撮るわけでも、ガイドがいちいち説明するわけでもない、この自転車で通過しながら空気を味わうスタイルがすごく心地よかった。
4時間半のツアー。もちろんずっと自転車を漕いでいるわけではなく、途中に幾つかのスポットに立ち寄って、新鮮なタイ産のフルーツをおなかいっぱい食べたり、家庭料理を味わったり、お寺に入ってみたりという楽しみもあった。気になることがあったらガイドに聞いたり、参加者同士であーだこーだ語り合ったり。一期一会のコミュニケーションも忖度なくて好きだった。
繁忙期の今は毎日自転車ツアーをホストしていると言っていた。だから通り道に住んでいる人たちや店員さん、学生たちはこのツアーの存在(外国人たちが自転車に乗って一列で通過する姿)をよく知っている。大きな笑顔でアイコンタクトをとってくれたおじいちゃん(の歯がほぼ抜けていたこと)や無邪気に手を振り返してくれた子どもの姿が忘れられない。
ちなみに、泊まったホテルのあったAriというエリアには歯医者が立ち並んでいたけれど、歯の抜けた人たちもたくさん見た。タイはコロナ後さらに貧富の差が広がっているそうだ。
東京でせわしなく働き続ける人たちに見慣れていると、「自由」を感じる機会が少なくなる。似たような服装、同じ通勤時間、満員電車。新しい生活を見ると、自分にとっての世界はこの広い広い世界の中のほんのゴマ粒でしかないことがわかる。それと比較して自分の悩みはちっぽけだというようなことを言う人もいるけど、苦労や悩みの大きは計れないし比べるものではないと個人的には思うので、そういうことを言いたいんじゃなくて。
簡単に言ってしまえば「なんだっていいじゃん」というマインドを得られる。渋滞でもイライラしないタクシーの運転手、軒先で特に作業がなければ椅子に座ってダラダラしている店員、その横で同じようにダラダラしている犬猫、おしゃべりしながら素晴らしい手わざを披露するマッサージ師たち。(多分)パチモンのマリメッコワンピースにふわふわ猫耳カチューシャをつけて朝ごはんを提供する店員、道を聞くと笑顔で答えてくれた川沿いで上裸でたむろするおっちゃんたち(あの人たちは何をしていたんだろう一体)。やはり人間は人間に惹かれるのか?同じタイの人でもみんな違って、その違いを見て感じるのが楽しくて面白かった。
タイにいる自分はといえば、案外おとなしかった。言葉がわからないのは自分にとって大きなハンデとなり、それでも伝えようとするときには羞恥心を捨てる勇気が必要になる。伝わらなかったらどうしよう?と不安に思うことは日本にいるとあまり体験できない。まぁ同じ言語を話す人同士でも言葉が伝わらないことはあるが。より基本的なレベルで自分の言っていることを聞いてもらえるかどうか分からない時、自分がとっても弱いものになる。その感覚は大切だと思う。自分が普段日本でいかに特権を持って生きているか思い知らされる。様々な理由でコミュニケーションをとるのが難しい人がいる。では自分が優位な立場であるときにどう接するべきか、これも考えさせられる。
バンコクで見たゆるい景色と人たち。ちょっと行き詰ったときに思い出したい空気と笑顔に出会えてよかった。もっといろんな景色が見たいと欲張りになる自分もいるが、ま、気楽にいこうぜと肩をたたいてくれる自分も隣にいてくれる、そんな気がする。
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