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【連載】植松聖に抗う 4

 年の瀬、当事者のUさんのガイドヘルパーを務めた。Uさんは日中の通所施設の他、わたしが月に何度か泊まり勤務で行くグループホームの住人でもあり、いっしょに風呂に入ったり、テレビでタイガース戦や映画を見たりするので、もうすっかり仲良しの間柄である。ただガイドヘルパーとして出かけるのは、今回がはじめてだ。

 予定時間の10分前にUさんのグループホームに着いた。今日の「小遣い」を含めたUさんの所持金を確認させてもらって出発する。ガイドヘルパーを含めた二人分の交通費、入館料、映画館であればチケット代などの必要経費はUさんの支払いとなる。食事代は別々である。ヘルパーはそのお金の支出明細を記録して、最後に残金と合っているかを確認しなければならない。その他に当日の行動記録を簡単に記した報告書を作成して、最後にUさんからサインをもらい提出する。

 グループホームから車椅子を押して、最寄りの駅まで10分ほどか。ふだんはバッテリーを積んだ電動式の車椅子で自由に動き回っているUさんだが、特に雑踏などへ出る場合はときに暴走してしまって危ないこともあるので、手動の車椅子に乗り換えることにしている。

 駅で子ども用の切符を二枚購入して、自動改札を抜ける。JRの場合はこれで構わないようだ。見た目で分かるだろうからか、障害者手帳の提示も特に求められない。これが別の私鉄だと購入時に車椅子のボタンを押すとしばらく待たされて、出て来た駅員に手帳を提示してから切符が買える。ただ別会社の路線などが入っていると、会社によって割引率が異なるので、改札を出るときにふたたび購入をしなければならないので、結構面倒くさい。

 また今回、Uさんは手動の車椅子なので特に必要はないが、重たい電動式の車椅子の場合は電車に乗る際の簡易スロープを設置してもらう必要があるために駅員に依頼をしなければならない。小さな駅で駅員が一人しか配置がなく、たまたま別件で対応をされているような場合は待たされて何本か電車を見送ることある。無人駅の場合は前日までに連絡をして当日、他の駅から来てくれるそうだが、だれもが電車に乗る時刻を前日までに確定しているわけではないだろう。

ホームで電車を待つ

 さて、本日の行き先は梅田のウィンズ。翌日の有馬記念の馬券の購入がメイン・イベントだ。北新地で下車して、地下街を抜けて阪急方向へ。わたしはウィンズは行ったことがないので、Uさんがこっち、こっちと不自由な手を指しておしえてくれる。ベビーカーをついたお母さんなら充分ご存知だろうが、縦移動がエレベーターのみの選択しかないのは、そのエレベーターを探す手間も含めて結構大変だ。1台しかないエレベーターの場合は、ときに5分10分待たされる場合もある。そして梅田のような雑踏での車椅子は、目線が低いために油断するとすぐに他人にぶつかりそうになる。足早に移動する人はじぶんの目線でしか雑踏密度を測らないから。

 今日は散髪の予定もあったので、ウィンズでの滞在は二時間ほど。それでもふだん、ほとんど賭け事をしない健全なわたしは「枠連」や「ボックス」買いのマークシートの書き方を手近な警備員や受付のおばちゃんに訊いて回ったり、その合間に同僚のKさんから依頼されていた馬券を購入したりと大忙しであった。

 オッズのモニター下に固定した車椅子のUさんに、入口で買った競馬予想誌を広げて見てもらう。Uさんのやや聞き取りにくい発声を何度か聞き直しながら、「式別」(賭け方)、馬番か枠番、金額などを確認して、マークシートに記入していく。当日の阪神競馬の2レースのうちの1レースでUさんは(たぶんものすごい久しぶりに)払い戻し(千円弱)を受けたが、満を持して大枚1万円近くを投入した翌日の有馬記念の結果については、Uさんの名誉とプライバシーのためにここでは割愛しておく。

有馬記念の出走馬を見つめる。

 そろそろ腹が減ってきた。時刻は12時半。行きつけの散髪屋は地元近くなので、北新地から電車でもどる前にせっかくだから大阪第一~四ビルの昭和香るレトロな地下街でお昼を食べてから移動しようとUさんを誘って歩きまわったのだが、人気店は行列ができているし、それにたいていの店は入口から段差があったり、車椅子が入るには幅がせまそうだったり、カウンターだけの座席が固定式の椅子だったりと選択が厳しい様子だった。以前にこの近くの会社に勤めていて昼時はよく利用していたものだが、じぶん一人ではそういう目線で見たことがなかった。

 時間帯も悪かったろうと、諦めて地元の地方都市へ電車で移動。散髪屋の近くのややさびれかけたショッピングモールのうどん屋へ入った。入口の段差はスロープで解消されていて「車椅子、いけますか?」と訊くと、どうぞどうぞと笑顔で招き入れてくれた。こういうふつうのことが、なにやらしみじみとうれしい。「食事介助をするので、向かい合いではなく、横並びですわります」 分かりました、と女性の店員さんが四人掛けのテーブルの片側だけを大きく開けてくれる。

 しばらくして隣の壁側、二人向き合わせの小さなテーブルに黒づくめの女性二人がわたしたちのテーブルの横を窮屈そうに抜けてすわった。50代と、もう一人は母親くらいの年代だろうか。ところが注文したうどんがやってきてUさんが食べ始めた途端に、この50代の女性が「すみません、向こうの席に移ります」と明らかに嫌そうな顔で店員に告げ、すでに運ばれていた水のコップも放置して、わたしたちとは正反対に位置するカウンター席の端へ移っていったのだった。

 50代の女性の座席から、ななめ向かいにUさんの顔が見える。両腕が使えないUさんはわたしが箸でつかんで差し出したうどんに顔を伸ばして食らいつき、噛み切ったうどんがぼとぼとと器に落ちる。女性はその光景を見ながら食事をすることに耐えられなかったのだろう。けれどあまりに露骨なタイミングに、わたしは思わず立って行って「なんで席を変えたんですか? 失礼じゃないですか?」と言いそうになった。

 言わなかったのは、ここで諍いを起したら今後、Uさんがこのお店を利用しづらくなるという思いだった。じっさい、そのうどん屋の麺も出汁もなかなか極上だった。それで、すんでのところですべてを呑み込んだ。Uさん自身が気づいていたかどうかは、分からない。

左奥が女性二人がすわった席


 昼食を終えて、いよいよ最後のミッションである散髪屋へ向かう。いったん駅前までもどり、反対側の高架沿いをUさんの誘導であるいていく。駅前の賑わいからは疾うに離れ、無機質な幹線道路の高架下をくぐった先、マンションの1階に入ったスーパーの店子のような形で入っているチェーン店の格安カット屋があった。「こんな裏手の場所をどうやって見つけたのか?」と訊くと、Uさんのお母さんが見つけたらしい。車椅子だと散髪屋も断られることがあるそうだ。段差があったり、あるいは椅子が固定されて移動が難しいなどもあるのだろうか? とにかくこの店は、Uさんのお母さんが「車椅子でもOK」だと確認してくれて最近、通うようになった。

 スタッフは二人、待ち客は一組。すぐにわたしたちの後に三組ほど増えたあたりで「すみません。これから一人昼休憩に入るので、ワンオペになるんですが宜しいでしょうか?」と声掛けがされた。Uさんの順番がやってきた。理容チェアーを端へ移動してくれていて、車椅子のまま鏡の正面に固定した。

「外して頂けますか?」と言われて気づいてタートルネックを外し、ダウンジャケットを脱がし始める。Uさんの両腕は変形したまま硬直しているので、すっとは脱がせられない。すると「肩回りが降りてたら、それでいいですよ」とスタッフが言って、そのまま散髪を始めようとする。Uさんに訊くと、当然ながら「脱ぐ」と言う。「いや、本人が脱ぐと言っているんで、ちょっと待って下さいね」とわたしはやんわりとスタッフの動きを制した。

 このときも、わたしは思わず口に出しかけていた。「あなたが客の立場だったら、ダウンジャケットを“夜鷹”のように肩出しした状態で散髪されたいと思いますか?」と。“夜鷹”と言っても、その若いスタッフには通じなかったかも知れない。じぶんだけのワンオペでお客も増えてきた状態で、かれはちょっとだけ急いでいたのだろう。それはほんとうに小さなことかも知れない。でも一般客にはけっして言わないことだ。


 有馬記念の馬券も買って、おいしいうどんも食べて、散髪も終えて、わたしとUさんは満足してグループホームへの帰途に就いた。帰りはわずか一駅だが、歩いても知れているというUさんの提案でぶらぶらと歩いて帰ることにした。高架沿いからひとつ入った蛇行する路地は、きっと旧村の名残りだろう。こんな道がいろんなものが残っていて愉しいんだよ、とUさんに話しながら帰った。寒いけれど、気持ちよかった。

 目線が変わらないと、分からないものがたくさんある。

 目線を共にすると、気づくことがたくさんある。

 

※Uさんの写真の掲載は本人から許可をもらっています。




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