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読書ノート 『正欲』
誰しも、生きづらさを感じている。明日、死にたいと思って生きている側にいると、息ができなくなる。
3人の登場人物の狂気が目まぐるしく心に刺さる。「多数・中立・少数」どの立場にいても生きづらさはある。
多数派は「ありえない」と吐きすてる。中立派は「こうでしょ」と押しつける。少数派は「…」沈黙するしかない。
不登校になった息子の意見を聞けず、自分の普通といわれる偏見を押しつける検事。はじめての恋に喜び、あいての気持ちに向き合えず、理解しているつもりになる女子大生。秘密の性癖をかかえ、死にたいと願う2人の男女。
誰かの価値観に触れるとき、傷つけてしまう可能性を忘れてはいけないと教えられた気がする。
普通といわれる価値観が過去のものになったいま、どう生きたらいいのかを考えるキッカケにしてほしい。
◇◇◇
読むまえには戻れない。多様性という言葉を世界に発したときの気持ちよさは、読後にはもう私のなかに存在しない。
多様性を尊重するのは面倒だし疲れる。そう思う反面、多様性がなくなれば面白くない。
知っていることしか想像できないし、想像できることしか理解できない。
どんなに寛容な社会になったとしても、理解されないことはある。そもそも理解してほしいと思っていない。
理解できないことは、存在すらしない。わかり合えないこともある。それでいいと思う。無理に認めようとすれば歪みがうまれる。
そもそも理解する側とされる側、どう区別できるのだろう。広い世界からみたら少数派であっても、小さな集まりの中でみたら逆転することはよくある。
受け入れられること、肯定されることを必ずしも望んでいるわけじゃない。知られずに、静かに、そっとしておいてほしい人たちもいる。
不寛容でいたいなら、関わってはいけない。つまらないモノを押しつけて、気持ちよくなるために他者を利用するのは愚かな行為といえる。
そもそも理解されたいとは思っていない。共感してくれる仲間がいてくれる安心感で、明日も生きたいと思える。
共感は愛だ。「私もおなじ」は愛の告白なんだ。
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第34回柴田錬三郎賞受賞作
あってはならない感情なんて、この世にない。
それはつまり、いてはいけない人間なんて、この世にいないということだ。
息子が不登校になった検事・啓喜。
初めての恋に気づいた女子大生・八重子。
ひとつの秘密を抱える契約社員・夏月。
ある人物の事故死をきっかけに、それぞれの人生が重なり合う。
しかしその繋がりは、"多様性を尊重する時代"にとって、ひどく不都合なものだった――。
「自分が想像できる"多様性"だけ礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな」
これは共感を呼ぶ傑作か?
目を背けたくなる問題作か?
作家生活10周年記念作品・黒版。
あなたの想像力の外側を行く、気迫の書下ろし長篇。
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