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Marcy's movie garage『えんとつ町のプペル』の落とし穴

こんにちは、Marcyです。今まで写真で自分を表現していたのですが、今回は映画レビューという形で表現してみます。

さて、初回は『えんとつ町のプペル』。賛否両論の嵐が吹き荒れるこの映画を僕なりの意見で論じてみます。

以下、ネタバレ要素も含みますので、この映画を見たい方はこの記事を閉じるように。





えんとつ町のプペルという映画を観終えて、正直な話、「いい作品だったな」と思った。周りの否定を気にせず自分の信じた道を突き進む主人公の男の子ルビッチとプペルの姿。難しい夢を追う人には相当刺さるし、生きにくい世の中や無意識の差別を風刺する描写もあり、何か刺さるものがあった。
この映画は絵本の面を被った、西野亮廣が伝えたいメッセージそのものなのだ。
プペルの世界観の中にある絶望のなかの小さな希望と現代社会の中の理想論がリンクしている。ああ、自分は何やってんだ、やりたいことをやれよと自省すらしたものだ。



だが、

物語のほとぼりが冷めた途端、自分が西野亮廣の仕掛けた罠にまんまとかかってしまっていたことに気がついた。

いい意味でも悪い意味でも騙された。絵本が原作という甘めの先入観と乱立する感動要素はまともな人の感性を麻痺させる。


この物語は、端的に言えば「煙まみれの町に暮らす孤独な少年ルビッチが、煙の向こうには星があるという亡き父親の言葉を信じ、たった1人の友達プペルと共に自分の信念を曲げることなく、星が存在することを周りに知らしめる」といった話だ。
ストーリーとしては非常に優れていると思う。信念を曲げないことの大切さとか、諦めないことの美しさとか、そういう教訓を観客に伝えたいんだろうなということがよく分かった(若干露骨ではあったが)。
ただ、この作品には問題点というか、落とし穴がいくつかあると感じた。

・観客は無意識のうちに主人公ルビッチ側に立たされる。

「ルビッチとプペルが、星を知らないえんとつ町の人々に星が存在するということを知らしめる」というのがこの話の大筋なのだが、星という概念を既に知っている観客からすると、絶対的に星を知っている(存在を信じている)ルビッチ側が正しく、それを知らない町の群衆が異常なのである。観客の中に星という概念を知らない人は全くいないだろう。既にこの時点で観客はルビッチ側に立っている。現代の人間が、地動説を唱えたガリレオが裁判にかけられたのを不憫に思うのと同じ仕組みである。
そしてこれが覆ることはない。仮にこれが逆で、ルビッチ側が「星なんてものは存在しないんだ!」と主張していたらどうだろうか。物語の終盤でそれを証明したとしても、観客からの強い感動は得られないだろう。


・主人公サイドの信念ばかりが強調されすぎている。

星は絶対に存在する、いいや、そんなものはない。の二極化。当作品では確かに星は存在した。だけど、それで終わっている。そうなってしまった(そうせざるを得なかった)理由と為政者側の葛藤が殆ど描かれていないし、あるものの存在の可否だけでこの世界は分かれてしまっている。

・現代社会に存在する様々な人間像のメタファーの悪の部分が強く表現されすぎている。

→まず、この作品は数々のメタファーが存在する。

プペル、ルビッチ→西野亮廣ならびにそのファン、賛同者、行動を起こそうとしている者
ローラ(ルビッチの母親)、スコップ(炭鉱夫)→行動を起こそうとする者のあとを押す立場の人
ブルーノ(ルビッチの父親)→かつて行動を起こしたものの、周りに叩かれ沈められたもの
アントニオ(ルビッチをからかっていた少年)→アンチを装うも心の底では賛同を起こしたがっている者
異端審問会→ネット社会(ネットユーザー)、強烈なアンチ
町の群衆→世論

この作品では異端審問会が恐怖の象徴として描かれており、町の群衆がそれに怯えつつ、周りに同調している者の象徴として描かれている。これはおそらく作者西野亮廣の視点なのだろう。自分の対にいる側の者を悪、恐怖、無知だと認識しているように感じた。

以上が僕が個人的に引っかかったところだ。

感動したという声が多い中、上記のような記事を見つけた。当作品を相当斬りこんだ論評だった。
上記記事では当作品のことを「敵側との対話がないルビッチには成長がない」とまで言っている。さすがに言い過ぎだとも感じるが、確かに異なる立場の人の考えを受け入れる場面はない。
見方を変えれば、ルビッチとプペルは自分の信念のためだけに無煙火薬を空にぶちまけ、自分の信念を無知な群衆に証明してやっているわけだ。フィクション作品にどうこういうのもナンセンスだが、そこに影響を受けた人が変な信念を持って、暴走している様子を懸念している。


いい作品と片付けられることが多いだけに(自分もそう思ってしまったし、感動要素がいくつもあったのは事実)当作品に落とし穴があることを見過ごしがちだ。そしてその落とし穴にハマった者たちが「4プペ、5プペしました!」と堂々と言うのだろう。

かく言う僕も、落とし穴に落ちた1人なのだが。

サポートありがとうございます。未熟者ですが、日々精進して色々な経験を積んでそれを記事に還元してまいります。