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最後の小銭男

 2022年1月17日。それは僕のような小銭をたんまり持っているような人間にとってのXデーだ。




  今まで無料だったゆうちょ銀行への小銭の預け入れが有料になる。極端な話、一円玉を一枚預けるだけで110円かかる。預け入れるつもりが、銀行にお布施をしてしまうことになる。
 小銭男の僕からすれば、文句の一つや二つゆうちょ銀行に言ってやりたいところだ。しかし、キャッシュレス化がすすみかけている現代社会では僕の存在はマイノリティなのかもしれない。
 何円か数えるのを躊躇うくらいの量の小銭を全て投入し、ジャラジャラと音が鳴っている機械を見つめながらいくらあるかを待つあの瞬間。大した金額を入れてないので結局入金額を見てしまい、ため息をつく羽目になるのだがお金がなる音を聞くことでしあわせな気持ちになることに間違いはない。
 あの瞬間をもう一度味わいたい。17日以降もできるといえばできるのだが、結果損することになる正直、史上最大の改悪をしたゆうちょ銀行なんかにお布施などはしたくない。
 そして何より、小銭男を卒業しないといけないなと考えるようになったのもある。物心ついたときから小銭で重くなった貯金箱を持って空虚な優越感に浸っていた。六種類の大きさも色も異なる小銭がひしめき合っているのを見て楽しんでいたのだが、20代半ばでそれでは心も懐も豊かにはならないし、あの重みは一万円札数枚には勝てないという現実がある。
 また、現金よりカードを使っている方が節約に気を遣えるようになるというデータを見てしまった。たしかに現金があると、持っているような錯覚に陥ってしまうような気分になる。正直今の僕は貧しい。貯金も大して持っていない。本来なら節約を意識しなければいけない。それなのに、一万円札を持っただけで気が大きくなってしまう。これは真理だ。
  カード不可の店も多々ある状況だが、そろそろどうにかしたい。そう思っていた矢先にゆうちょの話が飛び込んできたのだった。

 最後の小銭入金。僕は財布の中の小銭と学生時代に貯めてたギザ10を銀行に預けることにした。ギザ10を集めてたのは「なんとなく価値がありそう」という理由だ。のちにそれほど珍しくはない(もちろん製造年によって差はあるらしいが)ことがわかったのだが、そうは言っても貯めたものを簡単には手放せないでいた。
 久しぶりに出したギザ10はひどく劣化していた。これでは仮に価値のあるものだとしても見劣りがする。だろうと、思っていたよりも軽い気持ちで小銭入れに入れられた。

小銭入金最後のメンツ

 パンパンに膨らんだ小銭入れを握りしめ、郵便局へと向かった。小銭入れの重みに比例するように小銭にまつわる思い出や自分の収集癖のエピソードが思い浮かんでくる。どれもこの小銭入れに入ってる小銭と同じくらいの価値だ。

 クラスでペットボトルのフタを集めることに決まり、1000個ほど貯めて持っていったらドン引きされた小6の終わりごろ。貯めに貯めた十円玉がしこたま入った小銭入れを出したところ先輩に「金持ち自慢か?」と睨まれ小銭入れを取りあげられた(しっかり返してもらった)中学生時代、そして収集癖の対象が小銭に向かって行った高校〜大学生。こうして小銭男は出来上がっていった。
 だけどもう、何かを集めるのはこれでやめにしよう。あるコレクターが亡くなってしまい、その人が集めてたものが残された家族や知り合いを悩ませるという話もある。まだ死ぬとかそう言う次元の話をする時ではないけど。いつ何があるかわからないから、今のうちに備えておけばいいのではないか。そう考えるといくらか気持ちが軽くなる。

 郵便局ではすでに列ができていた。土曜日で窓口は閉まっている。みんなATMに用があるようだが、僕と同じ用で来ている人はどれくらいだろうか。前の人の用件が長引いている。気づいた時には後ろに数名並んでいる。後ろから感じるギリギリ読み取れるくらいの苛立ち、小銭入れの重み、ドア越しに何かの手続きをしている先客。変な緊張感がある。そんな中での小銭入金はかなり空気の読めない所業だ。だけど今日でそれは終わりだ。この罪悪感すらも、愛おしくなる日が来るかもしれない。

 5分ほど待ち、僕の番。キャッシュカードを入れ、預け入れのボタンを押す。紙幣の投入口が大きく開く。開きっぱなしの投入口を横目に、申し訳程度に表示されている硬貨のボタンを押した。ガチャっと小さな投入口が開いた。
「ごめんね、これで最後だから。詰めさせてもらうよ」健気な感じで開いた投入口に心の中で語りかけた。
 僕は小銭入れの中から小銭を取り出して、硬貨の入金口に闇雲にいれた。そして摘んでは入れ、摘んでは入れを繰り返した。小銭を入れた時に出る乾いた金属音が次々に鳴る。後ろからの視線が鋭くなった気がしたが、それを跳ね除けるように金属音を鳴らした。「どうぞ入れてください」と自動音声が急かしてくる。「どんどん入れてやるよ」さっきの語りかけとは別人の態度でATMに接した。
 硬貨全て入れ終わり、ATMが機械の音を出した。痩せ細った小銭入れは僕の左手に潰されている。
 カラカラカラカラ……。機械の音に合わさる硬貨を飲み込む音。汚くなったギザ10たち、昨日のお釣りの百円玉、端数の硬貨、みんなATMの底へ。
 2169円と表示された画面。確認ボタンを押してATMを後にした。取引を終えてまた硬貨の音がする。どこか切なかったが、これでよかった。
 あれほど入れたのに、いつものことながら少ないな、と苦笑いをした。ただ、それに加えて謎の満ち足りた気持ちもやってきた。千円札を二枚入れるのと変わらないのに、それ以上に金を入れたという感動があった。こんな安っぽい感動なのに、しょうもない感動なのに、こんなので喜びを得られていたと思うと自分は本当に小さい人間だなと嬉しさの中に呆れた気持ちが入り混じってしまって、特に今日はそれが強かった。

  ますます小銭(特に十円玉以下のもの)が使いづらくなる世の中、自分の思うところを抑えつつ小銭男はひとつの楽しみを封印した。果たしてキャッシュレス男になれるのだろうか…。

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