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暗い艀 (はしけ)

カラオケスナックで60代と思しき女性が「暗い艀 (はしけ)」をとても上手に歌い上げるのを聞いて感動した。
いろんな歌い手がカバーしていると思うが確か ちあきなおみのバージョンだった。

久しぶりに耳にしたが、軽快なリズムと メジャーともマイナーとも言えない地中海的旋律のイントロからは予想のつかない、間合いのとりにくいメロディーに心の闇を暗喩する歌詞が乗っかる。

原曲はポルトガルのファドの女王、アマリア・ロドリゲスが歌った Barco Negro というのだが、これは日本語にすると黒い小船を意味するはずなのに邦題は「暗い艀 (はしけ)」となっている。港町に育った神戸っ子でも、いまどき艀などと言われても見たこともない、何のことかもわからない人は案外多いと思う。

しかし私が子供の頃の高度成長期には神戸港にもたしかに艀溜まり (はしけだまり) があった。神戸のウォーターフロントで今脚光を浴び始めているメリケン波止場と新港第一突堤の間で、海岸通りの法務局や海上保安庁の裏手に当たる場所に貨物線が通っており、その向こうの水面に無数の艀がぎしぎしと音を立てながら小波に揺られていた。

当時、艀には水上生活をしている人たちもいたが、住民票は陸上のどこかに置いているわけで、港から多少離れた私の小学校に通う子供もいた。
トミコもそのうちの一人で、毎日数十分も歩いて、雨の日には市電に乗って楠公前(湊川神社) の北側まで通学してきていた。

体が大きく姉御肌で女子には人気者だったが、忘れ物が多くて先生にいつも叱られているのを見てか、男子はみな一歩引いている感じで直接口を聞いているのはあまり見かけなかった。しかしなぜか私は彼女と気が合い、うちにも遊びに来れば、たまに私も彼女んちの艀に遊びに行くこともあった。

貨物線を踏切でもないところから渡り、藤壺と海苔の張り付いた岸壁の階段を一歩ずつ確かめるように下りると、岸辺にいちばん近い艀に渡された割と幅の広い板を渡っていく。その先の艀同士は狭くて不安定な板でつながっており、それをバランスを取りつつ何枚も超えてトミコとお母さんの二人暮らしの家まで辿りつくのである。

自家発電機がウィーンと唸るたびに思い出したかのように明るくなる裸電球に照らされるトミコの艀は、狭いがきちんと掃除が行き届いており、子供の目から見るとまるで秘密基地のようで楽しかった。なによりも、筑豊訛りの言葉遣いは荒いのだが、お母さんがいつもにこにこしており、勉強がどうのとか行儀がどうのとか細かいことを言わなさそうで (本当は言っていたのかも知れないが) なにかと言えば小言しか口にしない自分の母と比べては羨ましいなと思っていた。

夏休み明けのこと、珍しくトミコが何日か続けて学校を欠席したので、男子に冷やかされつつも僕がプリントを家に持っていきます、と先生に名乗り出た。だが、学校から距離があるし危ないから私が行くわと先生は言った。

それでも私は放課後に一旦家に帰ってから10円玉を何個かポケットに入れた。そして11番の石屋川車庫行き市電に飛び乗り栄町1丁目の電停で降りて、潮と生活の香りがむっとする艀溜まりに向かった。

いつものように板を何枚も渡った先のトミコの艀は、何か普段とは違う空気が漂っていた。トミコの艀だけではなくて周りの艀がみんな沈黙して重たい霧に包まれているような様子だ。

私はトミコの艀の舳先側に立ち名前を呼んだ。何度か呼ぶとトミコがどこからともなく面倒臭そうに出てきた。

「なんや、どなしたん。」
「どなしたんて、トミちゃん学校は?」
「ああ、学校なぁ…。あ、そや、そんなことより、私ら船で九州まで行くねんで。」
「えっ?この船でぇ?」
「アホかいな、もっとおっきいのんで行くわ。」
「へえ、そうなんや、あ、おばちゃんは?おばちゃん、こんにちわぁ~!」
「お母ちゃんはええねん。」
「なんやそれ、おばちゃん、こーんーにーちわーぁ!」

するとトミコはいきなり形相を変えて、
「ええって言うてるやろ、ツンボかお前っ!」
と怒鳴り私の胸のあたりを突き飛ばした。私は一瞬海に落ちるかと思ったがなんとか尻餅をつくだけで済んだ。
そのとき、船室の窓がカーンと開いたと思うとお母さんが顔を出し、トミコにひと言コラーッと怒鳴りつけると、
「あ、K 君、ごめんね、女のくせに乱暴やけんこいつ。あんね、おばちゃん九州帰って女優になるんよ、すごかやろ!」
と目だけで笑った。普段と違い髪は乱れて全体に広がり、暗い船室の背景と相まって真っ黒の中になまめかしい顔と開(はだ)けた胸元だけが浮かんで見えた。

私は尻餅をついた勢いでポケットから飛び出た何枚かの10円玉を拾い集めると、二人にひと言も返さず、振り向くこともなく小走りに何枚もの細い板を超えて岸壁に向かった。板の合間に見える海は汚くていやな匂いがした。

貨物線を越えようとしたとき、向こうの歩道から日傘をさして所在なげな足取りでこちらに向かってくる先生の姿を見かけた。私は慌てて停車していた貨車の陰に身を隠し、なんやねんっ、日傘さして板を渡れるわけもないのに、なんも今行かんでもええのに、と線路のバラストに向かって唾を吐いた。

それから1週間ほどが過ぎて、先生はクラスのみんなにトミコが転校したと告げた。
そのあと私を職員室に呼び出した先生は、なぞ掛け風に話してきた。
「あなた、トミコの船まで行ったでしょう?」
「あのときどっかに隠れてたんとちゃうの?」
「また一人で遠くまで行ったりして…」
家出の前歴のあった私はまた叱られるのかと思い何も答えられずうつむいていると、先生はやさしく言った。

「怒ってないわよ。トミコからあなたに『ごめんなさい』って伝言を預かってることを言いたかったの。ちょっと寂しくなるわね。」

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