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「マスクの下は笑顔です」

郵便局で窓口の職員さんもマスクをしています。名札の下には、客へのメッセージ。腕には研修中の腕章。背後では年の離れた男性職員が見ています。

研修中に笑っている余裕なんてないですよね。目が真剣。マスクの下は笑っていてほしいな。とか考えながら、郵便局を出ようとした時のこと。

ビルの中へ通じる扉はすりガラスのような作りなので向こうに人影。明らかに扉の目の前にいます。入ってくると思って自分は扉の前で立ち止まりました。しかし、入ってくる気配がありません。

扉はこちらが引くと開くので自分が扉を開けて出ていけばいいのですが
向こうが先にいたので待っていました。しかし、動く気配がありません。このまま扉を開ければ、目の前に人がいる状態です。数秒後、扉を手前に引きました。

すると、目の前にはマダムが立っていました。両手に白い手袋、両腕長袖の上には役所の人がつけいるようなアレ、正確には「腕貫き(うでぬき)」サンバイザーにサングラス、もちろんマスクもONで完全防備。

最近は、ノーマスクでウォーキングな人もちらほら現れていますが、ここまで完全防備の人はひさびさ。で、私が扉を引いて出ようとすると一瞬ぶつかりそうに。が、ヒョイッとかわし、扉閉まる寸前の隙間に、カニのような横歩きで滑り込みました。

ははぁん、ドアノブに触りたくなくて、誰かが出てくるのを待っていたんだな。そう言ってくれれば、もっと大きく開放したのに。

でも、マダムの身のこなしは軽く、慣れた感じで「くノ一」のようでした。手先まで完全防備でもどこにも触れたくないんですね。

ちょっとした緊張感って、日常生活の中にあってもいいと思います。イワシの水槽にサメをいれておくといわしは長生きするといいます。ほどよい緊張感は生命維持にプラス作用するらしいです。

突然、現れた軽やかな身のこなしを見て、今後本物の「くノ一」を見たら、あのマダムを思い出すかもしれません。

人は記憶する時、エピソードと絡めた方が覚えやすいという話はご存知かと思います。エピソードとは「ストーリー=物語」です。

私たちは普段、無意識のうちに物語を作っては、それを取り入れて生活しています。体にビタミンが必要なように、記憶には物語が必要です。身の回りにある環境が「何もない」漠然とした状態だと情報を取り込めません。

そこで、漠然とした状況をなんとか理解して、他の人と情報共有するために物語を使っています。乳幼児の頃、犬を見たら「わんわん」、車を見たら「ブーブ」と、音やイメージで情報を取り込んでいますが、やがて「お庭にワンちゃんが入ってきたの」「おうちの前を自動車が通ったの」と、状況を交えて「物語」で伝えるようになります。

人は、自分の周囲をシアターのようにとらえ、自分を主人公に、シーンやバイプレイヤーの動きや組み合わせが絡み合う情報を整理しながら脳が処理していきます。

普段のどおってことのない出来事でも、物語の登場人物と捉え、自分と世界を認識しています。

フランスの記号学者ロラン・バルトによると「物語は人類の歴史と共に始まる。物語を持たない民族は存在しなかった。物語は人生と同じように、民族を越え歴史を越え、文化を越えて存在するのである」

では、言葉が先なのか、物語が先なのか?という疑問が浮かびます。

物語というと、ちょっとした娯楽のニュアンスもあります。が、情報を伝えたり記憶したりするための媒体とも言えます。そのため、人の歴史を俯瞰すると、言葉が物語を作るというより、物語というシステムをもとに世界各地の言葉が形作られていったとも考えられます。

好きなテレビドラマや映画って、繰り返し見ているうち、印象的なシーンを
想像すると、セリフまで勝手に口をついて出てくることがあります。

印象的なシーンを形作っている要素の1つは、登場人物の表情もあります。マスクをしていると表情が… 日常劇場の物語を読むのには、まだしばらく不都合が続きそうです。

そういえば、口の部分が透明になっているマスクが売られています。去年、コ ロナ禍になってすぐ、アメリカで女子高校生3人組が表情の見えるマスクを開発して話題になっていました。

フェイスシールドをしている人も店鋪など接客業以外、外でしている人を見かけることが少なくなりました。が、それ以上に表情の見えるマスクは、まだ見たことありません。在庫がだぶついていたら郵便局へGOだな。

沖縄出身のお笑い芸人さんが命名してくれたペンネーム/テレビ番組の企画構成5000本以上/日本脚本家連盟所属/あなたの経験・知見がパワーの源です