MarCalma~マールカルマ~

MarCalma=穏やかな海 です。何か書きたくなったときにぽつぽつ書いています。

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最近の記事

年末の大掃除&片づけ祭り

年末は大掃除のタイミング。そして、片づけ。 片づけるって、片をつけることって聞いたことがある。 決着をつける、つまり、決めていくことの連続だなと、年末の大掃除の時期にいつも実感する。 ホコリや汚れなどを払う他に、家にあるモノたちと対峙することも、大掃除のうち。 捨てる?捨てない? このモノのポジション、ここでいい? いちいち、決める。どんどん、決める。 さらに引っ越しのときは、もっと決めることがタイトに要求される。「こんなにたくさんの量あるんだ!」と、いちいちモノの

    • 人の品性について

      あの人は上品だ、とか、下品だ、と使われる言葉は、もとは仏教の言葉だそう。上品(じょうぼん)、下品(げぼん)と、読み方が少し違うけれど。 人の品性って一体何だろう?と、最近考える。 人が人を見るとき、何を見て、その人となりを捉えてるんだろう。 第一印象が大事とよく言われるから、初めて人と会う時には大抵それなりに気を遣う。マニュアルにありがちな好印象な受け答え、マナーある(と思われるであろう)言動、好感度を上げる行動や心理的作戦・・・それらが功を奏すればするほど、本来の自分

      • 子ども目線

        この間、台所を掃除した時の話。 毎日使う台所。毎日お世話になる場所。気にはなっていても見ない振りする箇所もあったりする。 ある日、ここはいっちょやるか!と、台所にGO! 気になるところから、、、といっても、全てが気になる。 どこからやろうか。 きっと効率的な段取りがあるんだと思うけれど、ここは情熱のみに身を委ね、目についたところから、ぐいぐい愚直に汚れを取っていく。 とうとう年末の大掃除で扱うべき禁断の汚れにまで、手を出してしまう。 ふとしゃがんで、台所を下から見

        • 読んだ本でわかる自分 その4

          久しぶりに、本について投稿します。 題名:中動態の世界 意志と責任の考古学 著者:國分功一郎 出版社:医学書院 この本では、古代ギリシャ語やインド-ヨーロッパ言語にあった「中動態」という文体について、その文体の概念やなぜその文体が作られていったかなどが述べられています。英語の「受動態」「能動態」は聞いたことあるけれど、、、? はい、「中動態」です。 「中動態」というのが、とても自分にしっくりする響きで気になりつつ、足かけ数年、やっと手に取り読めました。 英語や他のヨー

        年末の大掃除&片づけ祭り

          コーヒー瓶の中蓋

          コーヒーは毎日飲む。最近は、その手軽さでインスタントコーヒーに手が伸びる。 今日も飲もうと、クルクルとふたを回し開ける。 寸胴な瓶の口には、少しだけコーヒーの通り道が開けてあるだけで、シールされた紙の中蓋の大部分はぴったりと貼りついている。 その瓶の口を見る度に、いつも同じ記憶が飛び出してくる。 新卒入社した会社では、私は多分ずぼらで横着な人間だと思われていた。そんな私が、会社のお茶室で自分のコーヒーを作っていた時、大先輩がニコニコと入ってきた。優しい声で、「ねえ、こ

          コーヒー瓶の中蓋

          髪を寄付した、今年の夏

          あと少しで終わる今年を振り返り。この夏、4年ぶりに3回目のヘアドネーションしました。 ヘアドネーションとは、病気などでウィッグが必要な子供達のために、ウィッグ用の髪を無料で寄付することです。海外ではポピュラーな活動です。 今回で3回目、自分のヘアドネ史上(笑)最長の50cm位を寄付しました。 アマビエ並みに髪が長くなってきた6月半ば。それぐらいの時期から(そろそろヘアドネ?)とソワソワ。。。 そんな矢先、髪長いほうがいいイベント(フラメンコ)が舞い降りたため、そのあと

          髪を寄付した、今年の夏

          うれしかったこと、今年の初夏

          いつの間にか、夏から秋。今年の夏を振り返って・・・↓ 今年5月終わりの週末、NHKの定時ニュースの画面に目が留まった。日本人ピアニストがベルギーの世界的コンテストで入賞したとのこと。なんと日本人が2人も。すごいなぁと思いつつ、画面に映ったそのお一人の顔を私はまだ覚えていた。 さかのぼること2年前。まだコロナなんかなかった真夏のある日、名古屋駅の商業施設の地下階エントランスから、ピアノの音色が迎えてくれた。夏のスペシャルイベント的なコンサートをしていた。きっと有名な方なのだ

          うれしかったこと、今年の初夏

          好きな本でわかる自分ーその3

          まだ初夏手前のこの時期、晴れた日に外を歩いたり走ったりするのは、気持ちいいです。カラッとした空気と光に、全身がうれしくなります。 今回ご紹介するのは、走ることについての本です。 「走ることについて語るときに僕の語ること」by 村上春樹 もう10年以上前に出た本ですが、私は最近読みました。 作家としてでなく一人のランナーとしての村上さんの日常を、ご本人の文章で映し出しています。 一人のランナーの日記を読んでいるようでした。 読んでいくうちに、勝手ながら、応援したり併

          好きな本でわかる自分ーその3

          ウィズヤモリ だるまさんがころんだ

          (去年の夏、私のnote開設直後我が家に現れたヤモリの話の続きです) 縁起物と言われるヤモリに、またもや出遭う。これで3回目。夜、眠ろうと寝室に入ってすぐ、ベッドの枕近くの壁に張り付いていた。天井まであともう少しのところだ。 ソーシャルディスタンス以上の距離はあるため、ヤモリは小さくてぷっくりした3Dウォールステッカーにも見えた。確かに、wall(壁)にstick(張り付く)している。 どうしてそんなところにいるの?そこまで登ったんだね。すごいね。夜行性だもんね。 知

          ウィズヤモリ だるまさんがころんだ

          飲み物で好きなのは

          ステイホームの今、毎日、家でコーヒーやお茶を日替わりで飲む。好きな飲み物は?と聞かれると、いろんなその時々の飲み物が頭に出てきて、結局は、特にない、と答えてしまう。 台所の飲み物系のラインナップは、徐々に着々と幅広く、多国籍に。 コーヒー、紅茶、ウーロン茶のほか、中国や台湾の緑茶、インドのマサラチャイ、南アフリカのルイボスティー、欧州勢のハーブティーなど。。いいなと思えば即買いし、お土産やプレゼントなどで頂くと心の中で小躍りするのは、お茶好きな人達共通なところかも。 そ

          飲み物で好きなのは

          レモンの木

          今、レモンの木が欲しくて仕方がない。 ある日、通りがかるとレモンの木が売っていた。こんな寒い時期に実がなるんだ。黄色くてかわいいレモンがぶら下がっている。近寄って値段を見た。ものすごく高くはない。手は、届く。 植物は生き物。日常のお世話が必要だ。会社で働いていた時には、自分のPC横に世話の掛からなさそうな観葉植物を買って置いてみては、ことごとく枯らしていた。よく観葉植物が枯れるのは場の気が悪いとかという話も聞くけれど、無精な私が悪いのかなあ、なんて思ったりしていた。 一

          熱田神宮へ初詣

          先日初詣に行ってきました。名古屋人だからか初詣というと熱田さん(と地元民は、さん付けします)には必ず。 熱田神宮は、三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)がご神体。地元民としては身近な存在の熱田さんです。織田信長が奉納した土塀もあり、その土塀をまじまじと見入る方達も。今の大河ドラマで登場する織田信長。今回の大河ドラマは珍しくちゃんと追って観ているので、お!あの信長の、、、と思ったり。 コロナ禍まっただなかの今年、一月も半ば過ぎなら空いてるかななんて思って行ったら

          うし年だけに、牛歩スタート

          新年の1月後半になってから、noteに年始の記事を書くのも気が引ける。うし年だけに、牛歩スタートというわけで。とほほ そういえば、「とほほ」という言葉を私は今までよく使ってきてる。無意識にへりくだる自分を発見。 これまでいろんな場面で「とほほ」的なものを頻発していたけれど、「あれ?とほほ、って何?」とふと今、違和感を覚えた。なんだろう、この違和感。別に、とほほなんて、つけなくてもいいんじゃないか。 自分の中にぽっと出てくる新しい違和感に、小さく驚くもう一人の自分。 な

          うし年だけに、牛歩スタート

          年の瀬ひねもす

          今年も、あと3日(今日入れて)。まったく実感なく。 年末モードの、細かいことをサクサクしていきたい自分。相変わらずの、ひねもすのたりな自分。今日も自分がせめぎ合う。。。 子供の頃、「ひねもす」って動物だと思いこんでました。マンモス、みたいな。(きっとそう思ったのは私だけじゃないと思う) ひねもすは、文字にすると「終日」。一日中、という意味です。 この俳句の全貌は、 「春の海 終日のたりのたりかな」 作者、江戸時代の与謝蕪村。 春の海の波がゆるやかに寄せては返す、の

          感情の容れ物

          人間には感情がある。喜怒哀楽4つ以外の感情も。 マーブル模様みたいにいろんな感情や情景が、心に広がり続ける。幾重にも積まれた層になっている時もあるし、一度にいろんな色という色が噴出したりもする。 瞬時に蓋をする。いろんな感情や思いがうごめいて出てきてしまわないように。 そんな雑多な感情の容れ物としての自分を美化したい気持ちにも、いったん蓋をする。 ほとぼりがさめて、ようやく蓋を開ける。ああ、あのときこう思ってた、いや、こんな風にも思った、なんて、ようやく言語化できたり

          キャッシュレス時代だから?

          先日、紙幣何枚か、お釣りとして目の前に置かれた。一瞬ギョッとして、手に取るのをためらった。近年まれに見る使い古されたお札達。どうしたらこうなったんだろうと言うぐらい切れ切れのものもあった。 そのお釣りを出した人の顔も反射的に見た。何食わぬ顔をしていた。 どんなに古くてもお金はお金。ちなみにそこはお店ではない。もしお店ならそういうところも配慮されているのだと思う。いつも決まってお釣りはピン札という行き届いたお店も知っている。 きっと何も思わない方もいらっしゃるんだと思う。

          キャッシュレス時代だから?