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掌編小説┃セプテンバーレイン
「台風20号は、このままの勢力で明日の朝には九州に……」
私はテレビの電源を消してベッドへと向かった。明日は雨。気分は最悪。たとえ晴れたとしても、私の気持ちが明るくなるわけでもないのだけれど。
ふと目に入った壁のカレンダーには、赤丸と赤い✕印が同じ日に重ねて書いてある。
今すぐにでも何もかもをぐちゃぐちゃにしてしまいたい程のドロドロした感情を、どうにかこうにか自分でなだめた。
明日もパートがある。
早く寝なきゃと布団を頭まで被って目を閉じた。
あの日からだ。
カレンダーが捲れなくなったあの日から、私は私ではないような気がしていた。
* * *
何も考えずにルーティンをこなして飲食店のパートに出る。
あれから半年。
春の桜が咲き誇っていたあの日からもう半年。
パート先でももちろん私の事情を知ってる人はいるし、色々気を使ってくれているのだけれど。私にとってはどうでも良い事だった。
幸いにも仕事中は余計な事を考えずに済むし、人との他愛ない話が気を紛らしてくれるのだから。それがとてつもなくありがたかった。
「シノさん。あれから半年でしょ?
事故で旦那さんがあんななって」
噂好きの同僚だ。
私はこの人が好きではない。
むしろ、無神経に人の領域に土足で踏み込む所が大嫌いだ。
裏での作業だからって気軽に話し掛けてくるのは止めて頂きたい。
職場唯一の不満。
「……そうですね」
「まだ諦めてないの? 人間、諦めも大事よ。アナタまだ若いんだし。34だっけ?」
私は在庫チェックをしていた手を止めた。
ニヤニヤとゲスい顔を見せびらかすこの同僚はトミノさんと言って、私よりも年上の女性だ。私よりも一回り背が小さく、顔も体型も丸いオバサン。
小学生になるお子さんが二人いるとか。
「結婚も遅いし、旦那さんがああなっちゃねえ。早く別れた方が良いわよ。あんまり歳くっちゃうと次の貰い手が」
勤務中にこんな事を平気で言えるその神経が嫌い。
それも気持ち悪い笑顔で言うのが嫌い。
「お店の方大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。今は客なんていないもの」
「いつお客様が来るか分からないじゃないですか」
確かにお客様の少ない時間帯ではあるけど、その無神経さにはほとほと参る。
私が嫌そうな顔してもお構い無しに話を続けるとか。
仕事中だと分かってるのだろうか。
「本当にムダに真面目ね。疲れちゃわないの、そんな生き方して?」
余計なお世話だ。
私は無視して在庫表を埋めていく。
「つまらない人ね」
トミノさんはフン、と鼻を鳴らしてその場を去った。ちゃんとホールに戻っているのだろうか。
「シノさん! シノさん、いるんでしょ!?」
お義母さん?
「お、お客様……」
店長の声。
申し訳ないやら恥ずかしいやら。
出るに出られないじゃない。
「ごめんさない。急なの。急いで知らせたい事があるの」
「分かりました。分かりましたから落ち着いて。とりあえず席にご案内しますので」
ちらりとホールを覗く。
何処にいるのだろう。
あら、お義母さんがいない?
キョロキョロしていると、ふいに店長と目が合う。
「シノさん」
「は、はいぃ」
「奥の席、パーティションで仕切ってあるから。もう、カード切って上がりなさい」
え?
突然の事にハテナマークで頭の中が埋め尽くされた。
「もう少ししたら学生アルバイトの子もくるから大丈夫よ」
「でも……」
「普段よりちょっと早く上がるだけでしょ。いいから早くしなさい」
背中を押されて私はようやくタイムカードを切った。
トミノさんの私を憐れむ顔が視界に入る。
また何か言われるのだろう。
今日は何て日だ。
家で思いっ切り泣きたいよ。
「シノさん」
席に着くなりお義母さんが私に両手を伸ばした。
「お義母さん?」
涙が止めどなく頬を伝っている。
「ユウが、ユウイチが……」
夫の名前が出て、私の動悸は早くなった。
まさか。
あの日のあの事故から止まった時間。
今度は彼の命をも止めてしまうの?
私は、置いていかれたまま、無為に歳だけ重ねてしまうの?
「笑って、シノさん」
「でも……」
ユウイチさんは私の笑顔が好きだと言ってくれた。
私の笑顔にいつも癒される、元気を貰ってるって。
だから、見送らなければならないのなら、笑顔で見送らなきゃ、なんだろうけど。
私は涙を止める方法など知らない。
「ごめんね。私が泣いてるからだね。違うのよ。全然違うの。逆なの」
「え?」
きっと私の顔も声もぐじゃぐじゃ。
でも、心に光が差した。
「覚めたの。ユウイチが意識戻って……」
お義母さんはそれだけ言うと、もう、何も言えなくなった。
ただただ私の手を取って泣いていた。
私達は喫茶店の片隅で二人で泣いた。
外は台風の影響で雨。
でも、すぐに通り過ぎるだろう。
まだ私の顔は雨上がりの空の様な少し曇り気味の笑顔。
彼に会う時にはすっきりした笑顔にならなきゃいけないな。
「ありがとうね。シノさん、うちのユウイチの事、ずっと待っててくれてありがとうね」
泣いた後の不恰好なお義母さんの顔。
「お義母さん、少し買い物に付き合ってくれませんか? ユウイチさんのために綺麗なってから会いに行かなきゃ」
「そうね。ユウイチにはお説教しなきゃ〈こんな素敵なお嫁さんをずっと待たせて悪い息子だね〉って」
私はお義母さんと店を出る。
風の無い優しい雨。
カエルがピョンと跳ねていった。
ようやく私のカレンダーも時間を取り戻せそうだ。
終わり
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