見出し画像

言えないからこそ文字を書く。

ーまえがきー

タイトルの通り、私は自分の感情を話すことがとても苦手だ。おしゃべりは大好きなはずなのに、心の奥底にある思いを、不確かな感情を、誰かに伝えることがとても苦手だ。だからこそ、自分の思いを文字に残す。これを記事として更新することは迷ったが、それでもこの場所だけは自由に、素直になるために更新することを決めた。「自分だけじゃないんだ。」「言葉にしてもいいんだ」悩んでいる誰かの心に、そっと寄り添えたら。

さみしさをなかったことにしようとしていた。

最近、友人同士で楽しそうにおしゃべりをする姿や、何かに一生懸命に頑張る姿、感情が宿っているものを見ると、なぜか涙が出そうになる。それは、今の私に足りていない瞬間だからなのだろうか。

週末テレビを観ているとき、何十年越しに憧れのスターに会うことができた人や、お花見をしながら会話やゆっくりとでもあっという間に流れていくであろう時間を楽しむ人たちをインタビューする様子を見ながら、私は悲しくなってしまった。「いいなぁ。」うらやましさとさみしさが心の中に広がり、家族や友人に会いたい気持ちが込み上げる。私は夫にバレないよう洗面台の鏡の前で静かに涙を流した。

仕事も慣れ親しんだ場所もすべてなくなっても、大切な人と過ごす時間をこれからは大事にしたい。強い信念があったからこそ、新しい場所に住むことは何も怖くなかった。なんだってできる、楽しめると思っていたはずだった。でも、そんな気持ちも新天地に馴染んでいくたびに薄れていった。

「何もわからない、誰も知らないこの場所で、私は何ができるんだろう。何をやりたいんだろう。」

数ヶ月前までのワクワクした気持ちだけでなく、これまでの経験とかスキルとか、すべてがリセットされてしまったように感じた。私がやりたいことってなんなんだろう?なんのために働きたいんだろう?そもそも働きたいのか?一人の時間が増えれば増えるほど、自問自答を繰り返してしまう。勝手に落ち込む。そんな私に気づいてくれる夫に心配をかけたくないと、前向きに振る舞う。

楽しみばかり考えていた新生活。

東北に引っ越すことを決断してすぐ、私はやりたいことをとにかくたくさん考えた。仕事も、できることなら何かしたいとも思っていた。新しい生活も、新たな自分の居場所を作っていくことも楽しみで仕方がなかった。
転勤族の妻になるのならば、この先また拠点が変わっても続けられる仕事がやりたいとも考えていた。それが「ライター」の肩書きを名乗ろうと決めた理由でもあった。

ライターとして業務委託でいただいた仕事は、とても充実していた。一本の記事を書き上げるたびに達成感でいっぱいになり、自分の書いた記事を読んでもらえる日が待ち遠しくて仕方がなかった。そんな経験をしたからこそ、私はライターとしてこれからも仕事を続けてみたいと新たなワクワクをもらったのだった。

何も変わっていない私と変わりたい私。

引っ越して2ヶ月。そう決意したにもかかわらず、何も変化していない私。この2ヶ月何をしていたんだろう。また自問自答がはじまる。本当にライターとして働きたいのか?書くことが好きなだけなのか?ライターとしてのスキルが不十分なんじゃないか?またこうして、モヤモヤするときが来たらどうしよう。何も動き出していないのに、不安だけが募っていく。

それでも今、私は猛烈に動き出したい。何かに一生懸命になりたい。人と繋がりたい。誰かと情熱を分かち合いたい。今日はこんな楽しいことがあったんだと、心配する夫に笑顔で報告したい。

ライターとして仕事をしたいのか、書くことが好きなだけなのか、答えは今もわかっていない。けれど、「書きたい。」この気持ちがあることは確かだ。「書くこと」は、きっとこれからも私にとって切り離せないものなんだと思う。感情を言葉に出すことが苦手な私にとって、素直に表現できない私にとって、唯一素直に感情を表現できるものだから。心を開ける時間だから。書くことで、感動や感謝を伝えたい。その瞬間を、素敵だなと感じたことを、胸に残った思いを誰かに届けたい。

それが仕事になったとしても、ならなかったとしても、感情をなくさないように。心を塞がないように。これからも、自分の感情と向き合いながら一歩ずつ一歩ずつ、情熱を取り戻して。心を開いていくことできっと何かが変化する。誰かに話すのはまだちょっと勇気がいるから。私は文字で、今の思いと向き合う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?