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「書くこと」を楽しめるようになった変化。

先日再開したばかりのnote。きれいに三日坊主になるところでした……。気づけば8月に突入しましたが、それでも「書きたい!」という気持ちが湧いてくる自分の変化に、この一年の成長を感じています。

これまで、noteや日記が続かなかったり、書くのがおっくう、書きたいことがことがない……と思うこともしばしば。気分屋で飽き性な私は、一人で継続することがとても苦手でした。また、些細なことでも落ち込んだり悩んだりすると、自分の心に蓋をして面に感情を出すということが、途端にできなくなってしまうんです。

そんな私が、「なぜ最近書くことに前向きなのか?」ちょっと考察してみようかと思います。

純粋に心にゆとりができた。

これが一番「書く」ことと、向き合えるようになったきっかけだと思います。結婚し精神的に安心感が生まれ、仕事を辞め専業主婦になったことで、空白の時間ができるようになりました。そう、気持ち的にも物理的にも「ゆとり」ができたのです。

私にとって「書く」ことは、これまでかなりのエネルギーを消費していました。頭に浮かんできた言葉を文字にしながらも、「この記事、本当におもしろいのか?誰が読んでくれるんだろう?」とか、「この言い回しの方が読みやすいかな?嫌な気持ちにならないかな?」とか。

あれこれ考え一つの記事を書いていくので、『考える時間』と『自問自答する時間』がたっぷり必要でした。

でも、ゆとりがないときは、「もう動きたくない...」みたいな、年中夏バテのような状態なので、そもそも休みたい、だらだらしたいというだらけモードに入っていました(という言い訳を並べて、書きつづけることをあきらめていたような...)。

それから今の生活になって、心のゆとりは性格をも変えてしまうのだと、一年前の自分と今の自分の変化に私自身も驚いています。

これまで『考える時間』は、内容や言い回しを考えるための時間でもあったのですが、その軸は「誰にどう思われるか」ということでした。自分を当たり障りのない人物にするというか、何枚も何枚も仮面を被せて書いていたように感じます。

でも今は違います。誰かに急かされ、誰かに怒られるわけでもない。私は私のペースでいいんだと、等身大の自分と向き合えるようになりました。その時間ができたことで、「文章や考えに正解はない」と受け入れることができ、まずは自分の趣味として書いてみようと「自分が楽しむ時間」として文章を書いているんだなと。

誰にどう思われるかではなく、自分が楽しむために書く時間になったことで、『自問自答していた時間』も自然と『自分と会話する時間』に変わったような気がしています。私と私が「おもしろい!」と思ったならまずは書いてみよう!時間と心のゆとりがつくってくれた、『自分と会話する時間』が、今の書きたい気持ちにつながっているのかもしれません。

記事は短くてもいい!

「書くことへのハードル」を下げてくれたのが、これです。noteって、なんとなくなのですが、長い文章を書かなければいけないと勝手に思い込んでいたんですよね。でも、それは私の固定観念で。【noteのヒント】を読んで、「それでいいんだ!!」ととてもすっきりした気持ちになったことを今でも忘れません。

創作活動でもっとも大事なこと(note help center)
https://www.help-note.com/hc/ja/articles/360012426113

波に乗ってきた時は、つらつらと書けるまで書き出してみたりするのですが、なんだか手が進まない時は、翌日にもう一度チャレンジしてみたり、短い記事でも、いいところでまとめてこれはこれで一つにしよう!と区切るのもよし。

頑張って書いたのに公開しないのはもったいないし、頑張りすぎて続かなくなってしまうのなら、力を抜いてちょっとずつ。何文字でも何百字でも、ひとつの作品をアップできた自分を全力でほめ、満足感を高めていくことが、きっと楽しむためのポイントです。

ゆとりはきっと楽しいを生み出す。

時間のゆとりも心のゆとりも。ちょっとだけ自分を甘やかしてあげることは、きっと自分の心も喜んでくれるはず。

あとは、知っている人にはあえて見せないというのも、私は私らしく書くことを楽しめるコツだと思っています。心の中の私は、みんなが知っている私じゃなくてもいいと思うんです。だからこそ、素直に自分を表現できる。

自分と会話する時間が増え、フラットな自分でいられるようになったことが、私の「書きたい」気持ちを増進させてくれたのかもしれません。短くても誰かにとっておもしろくなくてもいい。何よりまずは自分が楽しいと思うことを書く。この8月も書く時間を楽しみたいと思います。

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