洋の東西、人が口々に「女性を守れ」と言う理由は「元々社会が男性だけを守るから」であり、「女性が守られているから」ではない、という常識

改めて、アンチフェミニズムが世界中でばかにされる理由

何度か書いたように、今の世界の人々、特に科学好きと歴史好きは人種・民族・性別を問わず、老いも若きも、こぞってアンチフェミニストを笑うものです。

アンチフェミニズムは古代から西暦1980年代までは主流でしたが、完全なる妄想と壮大な疑似科学とバレちゃったからです。

言い換えると

「自分は良い支配者で高等(注・ニセ科学)。あいつらは俺の下働きのためにある(注・ニセ科学)下等な存在で(注・ニセ科学)、俺の支配が守っている(注・ニセ科学)。あいつらの反発は異常で(注・ニセ科学)、あいつらが感情的だから悪い(注・ニセ科学)」という自分たちの感覚を「真理」として中心に世界を説明し、しかも集団ヒステリーを起こす天動説っぽい世界観と
「優秀さは男らしさ(注・ニセ科学)。男らしい男たちこそが文明の主役(注・ニセ科学)。女や異民族など、「男らしくない」奴らは俺達の文明の受益者(注・ニセ科学)で、俺達に感謝すべき(妄想)。そんな俺達の世界支配が正当(妄想)」という19-20世紀の帝国っぽいニセ科学の「エビデンス」や歴史修正主義

の2点からなるファンタジーでアンチフェミニストの世界観はできています。

奴隷制や身分差別や植民地支配の正当化によく使われた妄想と疑似科学そのものなので、アジア・アフリカの男性でも少しインテリなら普通はアンチフェミニズムが大嫌いです。

幸い、20世紀が終わるまでに生き物の心身の発達や能力は男らしさでは有り得ないと確定し、性別もスポーツや医療の区分程度と確定し、「人類は他の支配と同様、男尊女卑でも、科学から思想までを凄まじく損ねてきた」と確定して今に至ります。

戦争や災害で「男性が女性を守ってる」とか考える発想も基本ない。逆です、逆(既出)。

一般論として女性が社会や男性に守られているとかいうファンタジーを前提にものを言う人は、奴隷制支持者なみの旧時代の巨悪扱いや、アホの子扱いを受けます。

女性を「感情的」と呼ぶアンチフェミニスト男性についても、東洋でも西洋でも世界各地の老若男女みんなから「男がわのヒステリー」として認識されるようになってますし。

守る仕組みがないからこそ「守れ」と言われる

人が小さい頃から「子どもや年少者を守れ」と教えられる理由は「基本、社会は年長者や大人だけを守り、子どもや年少者を守らないから」です。

言われてても年少者をいじめる人は後をたちませんし、体育会系の公的組織では、身分制的な支配確立の手段として、半ば公認すらされます。

「女性を守れ」と言われる理由も「基本、社会は男性だけを守るから。」です。そして起きていることも同様です。


戦後の日本社会も男性だけを原則的に守ってきたという常識

戦後、身分制が一応消えた後も日本社会が男性だけを原則的に守って今に至ることについては、一昨年から昨年話題になった新書『女性のいない民主主義』などが好著でしょう。

もっとも同書では、現代日本の男性政治家たちが揃いも揃って「女は黙っとれ」「女を黙らせろ、楽をさせるな」的な思想だった背景の、伝統的な権威ある疑似科学や思想までは触れていません。

とはいえ入門の政治学でも古典を読むので、書かなくてもいい常識の範囲でしょう。そんな古代の哲学者たちが、近代日本では新時代の神扱いでした。井上円了・哲学堂公園のように。

近代社会、たとえば戦後日本では、男性市民を守る仕組みはそこそこ出揃いました。古代ギリシャやローマが見本ですからね。

しかし政策上も産業の慣習でも、女性は男性を守るための資源や下働き要員扱いですから、人を保護する慣習や仕組みからひき続き原則排除され、国家公務員でも医師でも弁護士でも人為的に低賃金and/or不安定雇用に留められ、特例的に保護される程度です。

先人が何世代にもわたって

「上の身分(例・男性)が、必ず下の身分(女性)の上に立てるように」と仕組みを維持運用してきた

名残なので、逃れられるのはよほど運が良いか、男性のように女性に守られて生きられる女性です。

具体的には、妊娠出産への支援すら基本は男性が対象で女性は基本的にリスクと責任を負うのみ。DV被害者女性が暴力を逃れて出産してもカネは基本的にDV男へ払われ、母子は困窮するのが普通…ってほど原則的に日本の女性は保護から除外されてきましたし(過去になっててほしいもんです)、

ご存知のように男性→女性への古典的な性暴力でも原則的に男性だけが尊重・保護されますし

終身雇用や年金や医療、労災、生活保護などでも女性保護は例外的で、もともと男性を想定し保護する仕組みなので、女性に対しては適用されない運用か、木に竹を接ぐような妙な事態になっている。

ってのも、小中学生男子でもファンタジー脳でないやつなら報道や読書で知っている日本の現実じゃないんですかね??最近少しは変わったかも知れませんが。

そんなこんなで、年少者や女性を守るか否かは、今も個々人の善意しだいです。そうやって人々を対立・消耗させ、上の気まぐれ次第の境遇に置き、献身を引き出し、身分制の名残が続いてきたわけです。

身分社会では責任を負う者は「下」の者、最終的にはそのへんの女性

なので、20世紀に先進各国で身分制支配が消えたあとも、人類は女性蔑視という便利な道具を手放しませんでした。

日本の産業も伝統的な娯楽も女性蔑視に依存していますし、洋の東西、男性の精神の安定そのものが大いに女性蔑視に依存していますし、日本の20世紀末以降の福祉政策も女性蔑視依存の典型です。

無償/安価な労働力として女性を使い、男性を守らせる政策である以上、息子より娘がほしいお母さんはそりゃ増えるでしょう。自分が守られないんだもの。

最近話題の『失われた賃金を求めて』や『存在しない女たち』は、それぞれ違う角度から、どう女性が不可視化されるかを掘り下げた海外の好著です。

伝統的なDVでは、「社会は成人男性だけを守ると知っている男性」が、「社会に守られない女性や子供」を虐待します。

現実なんてそんなものです。

近ごろの、洋風騎士道ファンタジーと現実の区別がつかないアンチフェミニストさんたちの

「俺たち支配者が被支配者の奴らを守っている。支配体制と人権剥奪が奴らを守ってきた。奴らは社会的に守られていて気楽でずるい。

的な、身分制支配によくある妄想とは相入れません。

まあ、どちらも一般論として

おまえらにとって俺たちは良き支配者であり、支配がお前らを守っている。反発は異常である。」

という非人道的かつ荒唐無稽な前提に立っているので、今の世界では人類の敵扱いですけどね。

窮地でも幸せに生きる人間の尊厳につけこんで「あなたがたは幸せ。幸せのお裾分けを」などという恥ずかしさ

絶望は愚か者の結論…とは言い切れませんが、人生が楽な人に案外多いです。平安貴族なんかそーですね。

また「奴隷と奴隷主」「民衆と特権階級」「女性と男性」の各比較では、しばしば奴隷や民衆や女性のほうが享楽的で幸福そうだと錯覚されます。

古今東西、上の身分は絶望と苦悩を誇りがちですし、下の身分は尊厳をかけて幸せに生きるものですから、客観的な境遇と主観的な幸福度は一致しにくい。設問次第ですが、ツラい人々の幸福度が高く出る可能性も高い。

シリアスな近代日本の例では、幕末維新の官軍側高官の人は人生チートモードで超イージーモードでしたが、まさにそれゆえに絶望しがちでした。

学習院で時の皇太子なんかの勉強仲間に抜擢されても10歳くらいから他の絶望した子供と心中を試み続け、成人後はフェアな社会を築けないか試行錯誤し、また絶望したりする有島武郎の生き様などは、官軍の人間の心象風景でしょう。

が、賊軍側は人生が超ハードモードゆえに日々どう幸せに生きるか試み続けるしかなかったので、主観的な幸福度はものすごく高そうです。

当時そんなアンケートはありませんでしたが、たいてい官軍側高官の家族写真は死んだよーな目をしてますし、賊軍側の偉い家の人の家族写真は質素でも写真を見ているだけでも幸せになるくらい幸せが弾けていますし、人に問われれば、後者こそが尊厳にかけて「幸せだ」と答えるでしょう。個別具体的な不満は多いでしょうけどね。

窮地でこそ幸せに生きようとする人間の尊厳、武士なら武士の矜持とでも称されるものにつけこんで「あなたがたは幸せ。幸せのお裾分けを」などというのは恥ずかしいことです。


人がモテるモテないは本来どうでもいいですが、「非モテ」に悩むアンチフェミニスト男性や自称真のフェミニスト男性が善良な女性から選ばれないのは理の当然でしょう。一般的に女性は「社会から守られない状態で自分と家族を守らないとならない人々」なので、アンチフェミニストとうっかり結婚したら大変です。

まとめ

今様のファンタジー脳アンチフェミニストの「男が女を守ってるんだ感謝しろ!キエー!キエーー!」「フェミニストは女を守れと言っている!!男が強いと認めているからだキエー!キエー!」という集団ヒステリーよりも

伝統的なDV野郎のほうが現実的で

「社会は男だけを守る。この社会は、女を困窮させて男の支配下に追い込み、逃げ出せないように仕組みを作っている。男性が女性を支配し対等な口などきけないようにすることこそが伝統的な政治の基礎で正義。」

という現実認識だけ正確ってことです。褒めてませんが。