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1人で生きる

去年、父が死んで、母を自宅で介護出来ず施設に預けて、私は賃貸マンションで一人暮らしを始める事になって、それは自分にとってはめちゃくちゃ大きな変化だけど、コロナとは関係ない。

その一人暮らしの日々は思いのほか快適で、母の介護でモヤモヤした気持ちを抱かなくて良いし、色々と出来ない母に対する父の怒鳴り声も聞かなくて良いし、会話の無い家族へ作り置きを作る必要もなく、自分の為に金も時間も労力も使える事がこんなにストレス無いんだと、すごく身軽で暮らしやすい。

孤独を感じないとは言わないけど、重荷を背負わず生きられる。自分の事だけ考えれば良い日々はとても気楽だ。

家族の話はあまり良い話ではない。
自分の家族が他と違うと感じ始めたのは中学校頃でそれは、反抗期だったのかも知れない。
小さい頃から、真剣にやる事、好きになった物全てを茶化したり、貶めたりする両親だったので、教わった事も好きな事も、家族に話す事が出来なくて、元々会話はとても少なかったが、パチンコに行くお金はあっても進学する学費にネチネチ文句を言う父親、それに対して何も言わない母。反抗して私も怒鳴り散らす。話す事=ケンカという家庭だった。

進学なんてする必要無いと言う父親と、自分だって諦めたんだからと同調する母親。
言うこと聞かず、勝手に願書だして入試に合格し、泣き喚いて専門学校は行けたけど、普通とは違う、一番近い身内に自分の夢を潰されそうになったという事実から、親とはいえ、他人だと感じていた。

ただ20代でフリーターになった私は、実家にずっと暮らしてた。当時は週7でバイトして週8で友達と遊び、年に3ヶ月くらいは海外に行く生活だったので節約のため。そしたら何度目かの海外長期旅行から帰ってきたら、母親の風貌が明らかにおかしくなっていた。
そこからは母親がホルモン系の難病と発覚し、徐々に日常生活に支障がでて、私が33歳くらいからは炊事、洗濯、時々介護の日々。父は介護が必要な母に怒鳴り散らすし、母は泣き喚くし、多分、父は躁鬱で母はホルモンバランスが崩れたのと繰り返した脳梗塞で高次脳機能障害があったんだと思う。
当時いた彼氏は裕福で立派な家柄の人で、自分の家庭の事を一度軽く話したらドン引きされたから話せなかった。周りの友人にも言えず、本当にしんどかった。
世間の同世代と比べて、どうしてこんな親に振り回されるのか、なんでこんなにみっともない両親なのか。ただただ、両親がコンプレックスだった。

救いの無い日々がいつまで続くのかと思っていたら、父は病気であっという間に死んで、今に至る。
父が亡くなってもうすぐ一年が経つ。色々感じる事はあるけどまだ言葉に上手く昇華できない。それでも、1人で過ごす時間がそんなに苦痛じゃない、少なくとも両親(家族)と過ごすより今が自分らしくいられると感じてる。

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