はじめまして、ねねです2

こんにちは、MaPREねねです。

前回はこちらで自己紹介その1をいたしました。

新卒2年目まで、販売員時代。

学校を卒業したあと、デザイナー志望で就活をしたのですがまあノーキャリアでいきなりデザインをさせてもらえるわけもなく…

元気と愛想はあった(と思います)私は、東京の某百貨店の1Fアクセサリー売り場に勤めることになります。

そこは本当に美しいお店で、歴史を感じる建物と立派なホールのすぐ隣。

1日数回パイプオルガンの演奏が開かれる(というと、お買い物がお好きな方はもうどこなのかお分かりだと思います)、とても文化的な場所でした。

舞台も素晴らしいですしお客様も今までの私の生活からは考えられないほどリッチな方ばかり。

ジュエリーの知識もさることながら、そのような上質なお客様とお話しする際に必要な接客技術やホスピタリティ、言葉遣い、仕草、普段の生活の知識の方がずっとお客様とのコミュニケーションで大切なのだと痛感しつづける新卒生活でした。

もちろん失敗も数多くし、その度にフォローしてくださり叱咤激励をくださった会社の先輩方には今でもとても感謝しています。

とにかく売上を立てることを求められた販売員時代でした。

売上を立てることの大変さ、難しさ、そのために本当に販売員の人たちが努力をし続けているというのを身をもって体感しましたし、その負荷は相当です。

正直とても辛いと思う日々でした。
販売が辛いというよりも、このままデザインに携わることができずにいたらどうしよう?という不安をかかえていたのです。
人事考課の度に「デザインがやりたい」とどの上司にも話し続けました。

我ながらしつこかったな〜と思いますし、今思えばまだ入ってぺーぺーのくせに、やりたいことばかり主張して生意気でした…。
その節はすみません…

念願のデザインのお仕事

約2年の販売経験を経て、大幅な人事異動があり、「そういえばあいつデザインやりたいって言ってたね。」と、
よく覚えててくださったある上司のお引き立てによって、本社でデザインの仕事に携わることができました。

配属されたのは商品企画部というところで、とにかくこれぞ私のやりたかった仕事!でした。
商品のデザインはもちろん、ブランド全体の売れ筋を見ながら商品の在庫の調整をしたり
他社さんをリサーチしてマーケティングについて勉強したり。
販売員が「どんな商品でも売ること」なら、
この仕事は「どんな販売員でも売れる商品をつくる」ことでした。

販売員時代は売れれば達成感がありましたし、
企画の仕事ではどの店舗でも売れる商品ができたときに達成感がありました。
もちろん山のように失敗もしましたが、
売れる商品の傾向を勉強したり掴んだりするのはとても楽しかったです。

ちゃんと数えてはいませんが、その時は
ひとつのブランドと、毎シーズン大量に生産するラインのふたつを大まかにやらせてもらってましたので、
一年で100点以上は製品化してもらってたのではないかなと思います。

もしかしたらハードワークだったかもしれませんが、
その時はやっとデザインして製品が手元に上がってくる喜びがまさり、
企画を考えるのに困ったことはありませんでした。
心底好きだったんだと思います。

震災と休職、そして離職。

配属されて1年たたないころ、2011年3月11日の地震がありました。

幸い私は自宅で有給をもらっていたので、帰宅難民などにはなりませんでしたが
大きくプライベートにも仕事にも影響は出ました。
私の両親の実家は岩手と宮城で、
たくさんのいろんなニュースと、親戚の話になんともいえない感情があふれていたのを今も生々しく思い出せます。
仕事でも、みんなが鬱々としたムードでした。

そんな時、宮城の仙台港のアウトレットに出店する話が出ます。
こんな時に本気か…と思いながらも出張することになりました。
なんでも、震災で入る予定だったお店が撤退したとのことで急遽うちの会社が出店することになったそうです。

港、と書いてあるようにすぐそこは海で、波がここまで来たのでしょう。
どの建物も2階くらいの高さに黒い線が入っていました。
灯のつかない信号のそばで、手信号で車を誘導するひとがいたりもしました。

ホテルは県外から来た人たちで全然部屋が取れず、3泊したのですが連泊は取れませんでした。
(なんだかちぐはぐだな、街に地元の人は少ないのに別のところからきた人たちで溢れてる。私もそうだけど…)
などと雨の中タクシーではしりながら灯のつかない街を見ていました。

仕事の合間に、上司と何人かで車で海の近くの街を走りました。
「みても大丈夫?ショッキングかもしれないよ。」
そう言ってもらいましたが、ここは母の故郷に本当に近いところです。
もちろん行きます、と答えていました。

車をほんの少し太平洋側へ走らせれば、ニュースで何回も何回もみたような景色が広がっていました。
瓦礫と潰れた車と、何を目指しているのかわからない飛び回るたくさんの羽虫たち。
一部ではない、ずうっとそんな光景が続いていました。
生き物の気配のない、不思議な場所なのに空だけが抜けるように美しく青かったのを覚えています。

(宝石やジュエリーなど、こんな時になんの役に立つんだろう。
私はなんの役にもたたないことをしているのかもしれない。)

ジュエリーに携わってはじめて、自分の仕事は世の中のためになっているのかと疑問に思いました。
ずっと誠実に仕事をしてきたつもりでしたし一度も自分をすごいと思ったことなんてないけど、
それでも改めて自分の無力さを実感しました。
こんな時に何かを誰かのためにできる人間であることがどれだけ素晴らしく、強いことか。

私はあの景色を目の前にして、自分が本当に何一つ、何一つも持ち得なかったことを知ったのです。

思わぬ形で励まされたのはこのすぐ後のことです。
アウトレットショップがオープンした当日、
ものすごい勢いでお客様がいらっしゃいました。
本当にオープンからクローズまで、ひっきりなしに!

もちろん接客もするんですが商品も足りません。
せっせと補充しながら、こんな大変な時なのにお客様みなさま大丈夫なのかな…!?と
思ってお話しさせていただきました。
震災と津波の話はできるだけしないようにしていましたが、
あるお客様たちが笑って
「全部流されちゃったからねえ」
「でもその分たくさん買うの!」
「どれもキラキラしててかわいいわね」
と、にこにこしながら一点一点、この日のために全国の店舗から集めたジュエリーたちを手にとって鏡の前で合わせてくださいました。

男の人は、「妻に」「娘に」「恋人に」とどこか恥ずかしそうに。
女の人は「お友達に」「お母さんに」「自分に」と悩みながら。
小さな子も目をきらきらさせながら、見ていってくれました。

ジュエリーが役にたたないなんてそんなことは全然なかった。
この場所でこんなにも、「きれいね」と言っていろんなひとがお求めになってくれる。
こんなに小さいけれども、誰かの大きな心の支えになるものなのだと心底実感しました。
ジュエリーの力を信じていなかったのは、私の方だったのです。

東京に戻り、また私はしばらく仕事をすることになります。

実はまだひと問題ありまして…長くなりましたのでまた次の機会にいたします。

自己紹介がながい…読んでくださってありがとうございます。

ちなみにそのお店はいまもあります。

(2017年10月現在)
お近くの方は遊びに行って見てくださいね♩

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現在CAMPFIRE様にて、新作ジュエリーのクラウドファンディングを行なっております。
MaPREセミオーダー新作『Cherie』制作ファンド
またご覧いただけたら嬉しく思います。

台風も過ぎて秋も本番の気配です。
どうぞ素敵な日々をお迎えください♡


MaPRE Nene

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