勝利の方程式なんぞ退屈の極み

久々に自分について発見があった。

どうしてもこのことについて考え始めたキッカケが思い出せないんだけど、
結論から言うと

“私は4割の不確定要素がないと退屈して死んでしまう病”

だということに気がついた。

そもそも私はみんながやっているであろう王道が嫌いなんですよ。
今、これが人気だから私も買ってみよ。とか
この服が流行ってるから私も欲しい。とか
このアニメがブームらしいから私も観よう。とか

毛ほども思わないし、
むしろ嫌悪してるし、冷めた目で見てるまでもある。

みんながやってること、真似してやって何が楽しいのかわからんという捻くれた性格なんですけど、
まぁ、ご丁寧に舗装された道路を通るのって退屈で退屈でどうしようもない。

かと言って、誰も通ったことのないシダ植物が鬱蒼と生い茂った道なんて通りたくない。
どういう道をみるとワクワクするかって?

“これ獣道かな?この道の先どこかにつながってるかな?”
って道がやっぱりワクワクするんですよねぇ。

5割を超えない不確定要素に対して、楽しさを見いだしてる感ある。

私、コロナ禍になって結構本読むようになったし、あれも知りたいこれも知りたいってなってるのも、4割の不確定要素に惹かれてるに過ぎないんだよなぁ。と今気づいた。

だって、私本読むの未だに苦手だし、趣味読書なんてよう言わん。

本を読むことで、確実にプラスになるが、人生において役に立つかはわからない。
という、”ぜってぇコレ人生において知ってても役に立たねぇなぁ〜”って要素が好きなだけなんだよね。

以前に狂ったようにハマってた城巡りも、この山に城があるのは確定してて、縄張図もある。でもその程度の規模なのか、どんな山道なのか行ってみないとわからないっていう不確定要素に私は魅入られていた。

ここまでわかったら、
今後の人生の方向性が見えてくる。

“6割の確実性と、4割のリスク”
“安定的な人生設計の中に、不確定要素をばら撒く”

これが、私の人生におけるQOLを上げることになるであろう。

どの程度自分に落とし込んで、人生設計していくかは今後の私自身の閃き次第かな。
誰かに従って、はいはい生きるより、誰にも指示されずに能動的に動く方が活き活きするので、自分らしく自然体に生きていくために常に考えていきたいですね。

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