『むかしむかしあるところにウェルビーイングがありました』

●「飽きる」は才能
●脳はサプライズが大好きで大嫌い
●日本昔ばなしには主人公がおじいさんおばあさんが多い謎
●しかも名前のないおじいさんおばあさん
●昔話や落語は「ゼロに戻る」
→成長したり金持ちになったりせずに、元の生活に戻る
●日本人はネガティブを愛でる
→侘しさや寂しさに美を見い出す
●日本は「奥」西洋は「上」を目指す
●古事記の神々と空っぽの存在価値
→何をしてるのかよくわからない神様が必ず出てくる(ただそこにいるだけの存在価値の深さ)

というキーワードにグッときた本です。

『むかしむかしあるところにウェルビーイングがありました』

確かに昔話にはヒーローみたいなものは少ないし、金持ちになって上流階級になりました的なストーリーはあまり見かけない。
昔話の中の最初の穏やかな生活に戻っていく。
言われてみれば、日常の生活の尊さを大事にしている民族だなと。

あとは神様でアマテラス、スサノオ、ツクヨミの偉大な三神の内、ツクヨミのエピソードがほとんど無くていまいち何の神なのかわからない存在っていう概念が日本には多い気がする。
バランサーみたいな、そこに「在る」だけで存在価値がある。分からない謎の存在が1人いるだけで神話の深みが大きくなる気もする。

日本人は「上」に行くんじゃなくて「奥」に向かいたがる。「奥」に偉大な存在を夢想する。

まあ、1週間前に読んだ本ですが、今頃なぜこの話を言い始めたかと言いますと、
今朝ポッドキャストの『超相対性理論』の「弱さを探索する」回を聴きながら出勤してたからです。

本と似た話題が出てきたので、考えてたのです。

以下、今朝出勤してる途中の思考をメモったもの↓↓


散りゆく桜やうらぶれた廃墟に美を見い出す日本人の特殊性

華やかな一瞬の美ではなく、変化することに対して、自分との同一性を感じているのでは無いか

切り取られたその瞬間の人間や物体や景色は、なにも感じられない無機質なものに思える

ただ、そこに弱さや変化、静画ではなく動画のような生命の瞬きに我々は心を揺さぶられる。

そこにあれもこれも私と同じなんだ。
私の弱さも変化もこれらに心を動かされたのと同じように尊い存在なんだ。
私もあの散りゆく桜も忘れ去られた鄙びた庵も同様に唯一換えのきかない存在なんだと安心するからなのではないか?

そこにあるストーリーを美しいと感じること=自分の人生を肯定することなのかな

日本庭園の庭も部屋の中から定点で季節の移ろいを感じることができる構造になっているのも、我々日本人が一瞬の輝きだけではなく、落葉する様、新芽が出て青葉がしげる様、美しい花が咲く様子を部屋という定点であり、一年を通して時間軸で移ろいゆく様を動画のように景色を見ることに美を感じる民族なのではないか。


職場に着く直前に走り書きしたから、よく伝わらない気もするけど、
①日本人はそこに「在る」だけでそのものの美しさを見い出す民族なのではないかということ。
②結果ではなく過程。
そのものが辿ったストーリーに心が揺さぶられる
③そのストーリーがドラマティックなストーリーじゃなく、日常の積み重ねであっても素晴らしいものだという価値観。
④その揺さぶられたモノと自分と重ね合わせて、自分の存在も尊いものだと思える。

という日本人の特殊性と見ましたが、どうかな。
書いててよくわかんなくなった。
今は資本主義、西洋思想が強すぎて思想のコンフリクト(衝突)が起きてる気がするのよね。
知らんけど。

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