目に見えない『枠』

生きているとたくさんの『枠』が私たちを囲んでいる。

日本人という『枠』
女という『枠』
成人という『枠』
会社という『枠』
家族という『枠』

誰でも何かしらの『枠』に捕らわれて生きている。

自分が作る『自分という人間の枠』
他人が作る『私という人間の枠』
もある。

最近になって気づいたことは
この『枠』がまじで窮屈で苦手だ
ということ。

『枠』が自分を守ってくれ、安心を与えてくれる反面、
窮屈な「内」と「外」を明確に分ける境界線を引かれることでもあり、「内」にいる場合にはいいが、「外」に出ようモノなら”出る杭は打たれる”といった様相を呈する。

ずっと前から感じていたのは感じてたのよね。

目に見えない概念に囲われていて、すごくそれが気に食わないってことに。

もっと人間は、他人に害を与えなければ、
好きなことしていいし、好きなものを好きと言っていいし、やりたくないことはやらなくていい。
他人にどんな風に思われようが関係ないし、好きに生きればいいし、他人と無駄な我慢比べしてる暇があるなら、自分のこと考えてあげたらいいと思うのよね。
勝手に自分の限界を決めてしまうことも嫌。
他人に「あの人はこういう人だから」と決めつけられるのも嫌。

とりあえず、私にとって
『枠』の中に組み込まれることは
とても居心地が悪い。

一つのグループにずっと身を置くのがシンドイ。

常に自分は変化している自覚はあるし、その変化に制限をかけてくる『枠』がキライ。

変化そのものが「私」の存在意義だから。

『枠』の中に気軽に入ったり、抜けたりする気楽さが人生において欲しい。

生きていく上で、仕事にそれを求めると大変難しいから、ずっと考えてはいるんだけど、最適解はまだ見つからない感じ。

でも、多分見えてないだけで
“私にとっての最適解”
は必ず存在すると思っている。

平日に我慢して我慢して、休日に動けなくなったり、反動でストレス解消する生活って
やっぱり健全じゃないなぁと思うんだよね。

仕事日とオフの日の感覚が曖昧になる程度に、淡々と人生をきちんと咀嚼して生きていきたい。
仕事と休みの境界がはっきり線引きされてるのも苦手なのかも。

仕事が遊び、遊びが仕事。

理想論と言われそうではあるけど、
ずっと模索して、考え続けることで、
いつかはその手段が絶対見えてくるっていう
絶対的な確信が何故かある。

今は、色んなこと考えたり、悩んだり、無駄な勉強してみたり、遠回りして色んなカケラを拾い集めていくフェーズなんだと思って、なんとなく人生の核心に近づく、伏線ばら撒き期間。
書きながら、拾ったり、ばら撒いたり、よく分からない期間だけど、今の私には必要なものなんだと思う。

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