🍀学校という場所の不自然さ
ツイートで、給食を「残さず食べなさい」と言われて給食が苦手になった子の話を読んで思ったことです😌
「子どもがおかしい」のではなくて、「学校という場が不自然」ということに、もっと目が向いたらいいな。
子どもが責められない世の中になるといいな。
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給食を「残さず食べなさい」と言われて給食が苦手になった子の話を、ツイートで読みました。
今もまだそうなんだ。
小学生の時、小食で、食べることに時間がかかって、昼休みになっても給食を食べ終わるまで席を立たせてもらえず、みんなが遊んでいる中、ずっと給食を食べていた友達の姿を思い出しました。
大人になって、たとえば会社の飲み会で、本人が「食べたくない」と言っているものを、
より立場が上の人がその権力を使って「食べなさい」と言ったら、パワハラです。
本人が「いらない」と言っているものを、無理に食べさせることが、どうして、学校では許されるんだろう。
たしかに、食べたいものだけ食べて、栄養が偏ってしまうのは良くないかもしれないけれど。
でも個人的には、人間の体って、自分で自分に必要な栄養を分かっていると思っていて😌
「食べたい」「食べたくない」っていうのは、そういう体の判断だったりする場合もあると思っています。
たとえば私自身は、脂っこいものが嫌いで、食べると頭が痛くなるし、食べなくていいと思っているし、食べない方が体にもいいと思っています。
でも、たとえば給食で天ぷらやフライの衣だけ残したら、「そんな汚い食べ方をせず、残さず食べなさい」と先生に怒られたと思います。
海外の学校だったら、カフェテリアになっていて自分でメニューを選べたりするけれど、
日本の給食はメニューが選べないんだから、食べれない分は残しても仕方ないんじゃないか…なんて思います。
もちろん食べ物を大切にすることを教えるのも大事だけれど、今は飽食の時代、食べ過ぎの時代だから。
誰かが「1人分」と決めた分量を、苦しいと思いながら食べるのではなくて、
自分がおいしいと思って食べられる分量を、おいしいと思いながら感謝して食べる、ということを教えるべき時代なんじゃないかな、と、個人的には思っています。
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私は給食を食べるのは早かったから、あまりつらいと思ったことはなかったけれど、
個人的には、小学生の頃から、「授業中にトイレに行きたくなったらどうしよう!」というのが、1番の不安でした。
授業中には、「絶対にトイレに行ってはいけない」と、思っていました。
もちろん行きたくなったら手を挙げて先生に言えばいいのでしょうが✋
でもみんなに囃し立てられるのが分かっているから、言えませんでした。
先生に言って行くことができないなら、「絶対に行ってはいけない」のと同じです。
私が育ったところは寒い地域だったから、特に冬なんか、トイレに行きたくなる時もありました。
でも、行きたくなっても、チャイムが鳴るまでは我慢するしかありませんでした。
そんな時は、どうせ授業の内容や先生の話なんか、全く頭に入ってきません笑
実際に本当に我慢できなくなるようなことは滅多になかったけれど、
「絶対に行ってはいけない」と思っていたから、「行きたくなったらどうしよう」という不安が、いつもありました。
でも、高校までずっとそうだったのが、大学に入ったら変わりました。
大学の授業には、遅れて来る人もいたし、途中で出て行く人もいたし、途中で出て行って戻ってくる人もいたし、たいてい、授業をしている先生は気に留めませんでした。
「行きたくなったらいつでも行ける」と思っていたから、すごく気が楽でした。
(※授業が崩壊していたわけではありません。みんな真面目でした。
やることをちゃんとやっていれば、細かいところは気にしない、という雰囲気でした。)
試験もそうです。
大学の試験は、早く終わったら早めに出てもいい。
でも、高校までは、試験が終わっても、絶対に席を立ってはいけなかった。
小学校から高校まで、日本の学校では、「こうでなければいけない」ということが、多すぎるような気がします。
まぁ、子どもの頃は、誰か見ている人が居なくてはいけないから、「生徒が勝手に教室を出て行っては困る」ということも、もちろんあると思うけれど。
でも、食べたくないものを食べなきゃいけないとか、トイレに行きたい時に行ってはいけないとか、そんな生理現象に逆らった不自然なことって、人間の子供時代以外にないんじゃないかと思うと、それって可哀想だなというか、
それが原因で学校に行けなくなったとしても、全くおかしなことでは無いよな、
人間って不自然な生き物だな、
学校って自然の摂理に反した変な所だな、
なんて、そんな風にも思います。
他にもいろんな原因は考えられると思うけれど、そして、小さな子供ほど、自分でその原因が分からない、言葉で表現できないことも、あると思うけれど。
「子どもがおかしい」のではなくて、「学校という場が不自然」ということに、
もっと目が向いたらいいな、子どもが責められない世の中になるといいな、と、思いました。
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