推しとオタクの双方向な感情と、一方通行な行動

アイドルにせよ、俳優にせよ、「現在進行形で生きてる人間を推す」ことを続けることは、とてもとても難しい。こと、推しとの距離が近ければ尚更だ。
なぜなら、相手は神ではなく、自分と同じように感情のある人間で、接する距離が近ければ近いほど、相手からも「見ている姿」が見られてしまい、自分の一挙一動が相手の感情を動かしてしまうからである。

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たとえば、私が一昨年の末から推してる、地下アイドルのちゅんちゃん。
とても大事な人だし、仲良い(と嬉しいことに向こうも想ってくれてるっぽい)ので、出来ることなら沢山話したいし、会える機会は逃したくない。ほんとうは。
実際、1週間に1〜3回くらいはライブがあるので、どんな友達や肉親よりも会うことが可能だ。


◇地下アイドルにハマった経緯についてはこちら◇


ただ、どんな気持ちを持っていても、私と彼女は友達ではない。
向こうは商売であって、こちらは客なのだ。
会って話すためには、金銭が発生する。

べつに「商売だから、お前に見せる顔はぜんぶリップサービスだ」なんてことを言いたいわけではない。というか、甘い幻想だけをくれる相手だったら、ここまで好きでいつづけていないと思う。

向こうは「仕事」としていつでも迎える準備をしてくれている。一方で、こちらは愛情の大小に関係なく、どんなに想っていても、自分の仕事や学業やら本業があったうえでできる、あくまで人生のプラスアルファでしかない「趣味」なのだ。
なので、推しと自分に双方向の感情のやりとりがあっても、その行動まで双方向にするのはとても難しい。
つまりは、こちらが客な以上、どんなに「大事にしたい」と思っても、生活基盤、ようは金と時間がなければ、行動を伴わせることができない。

このギャップがなにを生んでしまうかというと、言葉でいくら「好きだ」「大事だ」と伝えても、「友達と旅行に行く資金確保するために、我慢しないと」とか「ライブに行く金はあるけれど、働きすぎて休みの日は寝ないと、休み明けに働けないから行けない」という理由で会いに行かない選択をする、という残酷さだ。その残酷さに気づいたとき、めちゃくちゃ虚しくなってしまった。

だが、自己弁護でしかないかもしれないが、特定の推し以外のものを優先させることは悪ではない。
個人の収入や時間には限りがある。そこで、無理してバイトをいくつも掛け持ちして推しに会いに行ける財源を確保したところで、その生活をずーっと続けられるか、と言われると、無理だ。少なくとも私には出来ない。

こう思うようになったのは、私自身20代後半に入り、10代のときのような激情や体力がなくなってしまったことが大きい。
一瞬で燃え尽きるよりも、長く人生に寄り添うことを選びたい。とくに消費のスピードがおそろしく速い、いまの時代には。

ちょうど1年くらい前、ちゅんちゃんがツイッターのリプライ企画で私に「ずっと一緒だよ」と言ってくれた。推しが、私とずっと一緒にいることを願うのなら、私も推しを推せるコンディションを整えつづけたい。
ちゅんちゃんにはすぐ刹那的な言葉を伝えてしまうし(確証がないので「一生好き」がどうしても言えない)、1人のオタクとしての模範的な行動とはかけ離れてると思うけれど、数少ない「ずっと一緒」という約束だけは守りたいな、と思いながら、今日もライブハウスに向かったり、向かわなかったりするのである。

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