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映画『はちどり』を見て──かつてウニだった私の話

先日、4ヶ月ぶりに映画館に行った。自分のことをフットワークが軽い方だと思っていたけれど、緊急事態宣言開始あたりからほぼ毎日在宅勤務で、「会社帰りに寄る」ということができないと、こんなにも出不精になるんだなと驚いた。
そうして4ヶ月ぶりの映画館で見たのは、韓国映画『はちどり』だ。
簡単にあらすじを書くと、家父長制が非常に色濃い1994年の韓国社会に生きる少女・ウニが、家庭も学校でも安心して過ごせずフラストレーションを抱えるなかで、通っている塾のクラスを新しく担当してくれた女性の先生と出会い、世界の色が変わり……という話だ。
観る前は「当時の社会問題を扱った作品なんだろうな」と思っていたのだけれど、始まってみると、主人公のウニと10代のころの自分の境遇が重なる部分があまりにも多くて、驚いた。そして、ウニが大人から未成年としてきちんと接してもらえている場面を見るたび、生理現象のようにしとしとと涙を流した。
そうして観ながら思い出した、「かつてウニだった私」の話をしようと思う。

「尊敬できる人について」
小学生のころ、こんな題材で作文を書かされた。そのときは、尊敬できる人として母を挙げ、模範的な小学生っぽいことを書いた。でも本当は、母のことも、誰のことも尊敬なんてできなかった。

私の家は、両親の間に会話はなく、唯一の兄弟である妹とも仲が悪く、ある日母が食卓を指して「お通夜みたいだね」と言ったことがよく表すようにいつもどこか緊張感が走っていて、”家庭”という単語が持つ安心感みたいなものが皆無だった。
ウニと同じ中学2年になるころには、生まれた意味がわからずすべてを拒絶した私に対し、母は日々暴力を振るったし、なぜか私ではなく母が「死んでやる」と言いながらマンションの最上階に向かうフリをしたり、包丁を自分の腹に突き立てようとして、私と妹に止めさせていた。地獄だった。

くわえて小学校も、おそらく優秀な先生はもっと優れた学区に行くからか、水の底に残った澱みたいな先生しかいなくて、授業を聞かずに本ばかり読んでいた。先ほどの題材に限らず、模範的な小学生をよそおった嘘100%の作文ばかり書いていたけれど、当時からやたら文章が上手かったので、とくに見破られることもなかった。

私にとってのヨンジ先生と出会ったのは高校2年のときで、それまではずっと周りの誰一人信じられないまま、小説と漫画に描かれたメッセージのみを信じながら生きてきた。

いまではかなりラクな気持ちで生きられるようになったけれど、どうして10代の私はそんなに、家族含めて他人が一切信じられなかったのかずっと疑問だった。それが分かった気がしたのが、ウニが食卓で兄の暴力を告発したシーンだ。
「兄さんに殴られました」というウニに対して母は「ケンカしないの」とウニ本人に言った。親に兄の罪を叱ってほしいのに、なぜか殴られた本人が叱られる、という場面だ。それを見て、思った。

私が母のことを尊敬も信頼もできなかったのは、母が私のことを信じてくれなかったからだったんだ。

話は変わるが、よく”アイドルに嫌われる対応の仕方”として、アイドル個人に対する”アドバイス”が挙げられる。
たとえばアイドルの女の子がコンビニの紅茶ラテをオススメするツイートをしたとして、そのツイートに対して「それよりもこっちのほうが美味しいよ」とリプライしたとする。
その場で求められているのは「今度私も飲んでみよう」「私もそれ好き!」といった紅茶ラテを好きな気持ちに対する肯定なのに、別の商品のほうが美味しいと言われては、紅茶ラテが好きな気持ちを否定したことになってしまう。たとえ、そうリプライしたファンにその気がなくても。

それと同じことを、私はずっと母からされてきた。むしろ、いまだにされている。
たとえば、頭が割れるように痛くて病院に行って、処方された薬を飲んでいるのに、「そんな処置はよくない」という旨のことを言ってきた。ちなみに、母は医療関係者でもなんでもない。

そういう対応が当たり前だと思ったまま、大学に入った。実家から新幹線で3時間の距離の大学に進んだので、当然1人暮らしをして、友達や先輩と過ごす時間がぐっと増えた。そして友達と話しているうちに、誰もが私のことを信じて味方してくれることに、すごく驚いたのだ。
味方といっても、べつにサークル内で仲間割れしたとか、そんな大したことではない。街を歩いてるときにすこし傷ついたことだったり、バイト中に上司に言われたことだったり、私が打ち明けると、勘ぐったりせず打ち明けたとおりに受け取ってもらえることが、私にとってものすごく衝撃だった。

そのことに驚いたのは、それまで母にまっすぐ私の話を受け取ってもらえたことがなかったからからだったんだなあ、と『はちどり』を見てようやく気づいた。

私もだんだん30代が近づいてきて、20代前半まで抱えていた躁鬱が治ったこともあり、だいぶ気持ちに余裕が出てきた。そろそろ私も、ウニのような、かつての私のような10代の子の人生に光を照らす、ヨンジ先生のような存在になってもいいころなのかなと思う。そのために、素直になる努力をしながら、学び続けていきたいな。


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