見出し画像

わけもわからず、好きだった

高校生の頃に大好きで人生のぜんぶだったバンド、椿屋四重奏。
2011年に解散してしまったけれど、1stアルバム発売20周年を記念して、この夏限定で「椿屋四重奏二十周年」名義で活動することになったので、もちろんチケットを取った。

私がライブを見に行ったのは椿屋の解散報告から12年7ヶ月も経った、8月11日の仙台。
仙台は椿屋が結成された街であり、12年7ヶ月前にカウントダウンライブ・SENDAI SUNRIZEが行われた街でもあった。
当時まだ高校生だった私が行きたくても行けなかったそのライブが、事実上のラストライブとなった。

「仙台で椿屋が見れる!」
期待と不安と、あとは言語化できないぐちゃぐちゃとした気持ちを抱えながら会場へと向かった。

1

この日のライブは仙台を拠点に活動しているバンド、THE YOUTHとのツーマンだった。

まずはTHE YOUTHからスタート。
はじめてライブを見たのだけれど、カラッとした色気のある演奏がかっこよかったなあ。
それから、1時間ちょっとの尺の限られたMCだけでも、ボーカルの中村マサトシさんが兄貴肌でまっすぐな人柄が伝わってきた。

そして二番手が、椿屋四重奏二十周年。
転換中にはマイクスタンドの背後に、ボーカルの中田さんが椿屋時代に「摩天楼」と呼んで愛用していた真っ黒なストラトが置かれた。
解散後に摩天楼を見たのは中田さんのソロ10周年ライブで一瞬だけ椿屋が再結成したときだけだったから(多分)、ど緊張しながら待っていた。

客電が落ちると、SEとして銭形平次を流しておちゃらけた雰囲気でステージに出てきて和んだあとに、「成れの果て」の鋭利なギターの音が鳴って息を呑んだ。

その次は、私が椿屋でいちばん好きな「幻惑」で飛び上がったら、周りの座席の人たちも泣いたり叫んだりしていて、なんだかそれがすごく嬉しかった。
2年前にキネマ倶楽部でやった椿屋縛りライブではまばらだった「小春日和」のワイパーも綺麗に揃っていて(前方だったから後ろがどうかは分からないけれど)、曲にあわせて体が勝手に動くたびに周りも同じタイミングで同じような動きをしていて、そんなの1人で曲を聞いているだけでは味わえなかったから。

MCでは中田さんがステージからの景色を見ながら
「なんか今日、SENDAI SUNRIZEのときみたいだね」
と言っていた。
「お盆だし椿屋が亡霊として1ヶ月だけさまよう」なんて笑いながら言っていたけれど、こうして椿屋に会える機会を作ってくれて、演奏する本人たちも嬉しそうにしていたのにも救われるような気持ちだった。
感謝しかないなあ。

2

MCの中で印象に残った発言はいくつかあるけれど、そのうちの1つが「あのころ女子高生だったファンの子もいまやもうアラサーだし」という言葉。

12年前、解散時のインタビューでは事後報告した理由について「湿っぽいツアーにしたくなかったし、本当のファンに来てほしかったから」というようなことを口にしていた。
解散した年が大学受験で「さっさと大学に入ればたくさんライブに行けるから今年は我慢しよう」と思っていた私は「本当のファン」という言葉にショックを受けてこれまでずっと恨み言ばかり言ってきた。
ファンのボリューム層がもう少しお姉さま方なのもあって、ソロ活動をスタートした後もファンを括った言葉に疎外感を覚えることが少なくなかった。
でも私は”あのころ女子高生だったファン”だったから、ファンとして直球で承認してもらえていたことがなんだかとても嬉しくて、心に残っている。
椿屋のことも中田さんのこともだいすきなんだなあ、私。

私もあのころより少し大人になって、仕事としてバンドをやっていくのはきっとものすごく大変で、当時の状況下では事後報告での解散がベターな選択肢の1つだったってほんとうは分かっている。
けれど、でも、だからといって自分の傷をなかったことにはしたくないから分かりたくなくて、そんなわがままを宝物みたいに大事に抱えてきた日々だった。

でもこの日、ようやく解散を受け入れられた気がする。
解散を受け入れるまでに12年半もかかったんだな。長かったなあ。

なんだか1つの恋が終わったような、清々しい気持ちを抱えながら会場を後にした。

3

翌日。
椿屋のライブを見て恋の終わりみたいな気持ちになったけれど、失恋とも違って、なんでなんだろうなと思いながら1時間半くらい散歩したりしていた。

”あのころ女子高生だったファン”の私は、鮮やかな非日常を魅せてくれる椿屋の楽曲が好きだった。
高校生の子どもにとっては中田さんが放つ強烈な色気はフィクションだったし、そんな色気に溺れて苦しい現実を忘れさせてくれるところがたまらなく好きだった。

椿屋が解散して中田さんがソロとして活動しはじめた後も「楽曲に似合うから」という理由でウィスキーが好きになりたくて飲みはじめたし、赤い照明が似合うから私も赤が似合う女になりたかった。
ずっと、椿屋や中田さんの楽曲が似合う女になりたかった。

でも私もすこしは大人になって、椿屋が解散したときの中田さんの年齢を追い越してしまった。
そして中田さんの楽曲は年を重ねるごとに、現実の悲哀を歌ったものが増えてきた。

そんな日々を振り返っていたら、だいすきな小説のフレーズを思い出した。
その小説で”偉大なポップスター”を追っかけるファンの女子高生が、ポップスターのへんてこな生活について聞かれたときに言ったセリフだ。

「わかるから、好きなんじゃないのよ」
「……ん?」
「わけもわからず、好きなの」

桜庭一樹『傷痕』二章 孤島

わかってしまったのかも、と思った。
ずっとわけもわからず好きだったのに、好きな理由をはっきりと言語化できてしまったから、恋の終わりみたいな気持ちになったのかもしれない。

だからといって「好きじゃなくなった」とも違くて、1つの章が終わって次へ進む感じというか、また別の形の愛情を持てるようになった気がする。
椿屋に対する身勝手で幼い愛憎を切り離して、素直な気持ちで中田さんのライブに足を運べるようになったというか。
うまく言い表せないけれど。

ひとまず、今回椿屋に再会する機会を用意してくれた中田さんへ感謝の気持ちをこめて、東京での「椿屋四重奏二十周年」としての単独公演に合わせて13年ぶりくらいにファンレターを書こうかなと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?