最高で最悪なタイミングで出会った推しの話
いろんなオタクとして20年くらい生きてきて、出会うタイミングによっては「推し」として心のド真ん中に据えるほど好きになることもあれば、認知しつつもスルーしてしまうこともあるよな、と思っている。
そんな考えから人生を振り返ると……いや、振り返る必要なんてないくらいには、いちばん最高で、いちばん最悪なタイミングで出会ってしまった「推し」として真っ先に頭に浮かぶものがある。
ロックバンド、椿屋四重奏だ。
椿屋四重奏は歌謡曲の要素を取り入れた、むせかえるような色気が魅力のバンドだ。
火サスや昼ドラに似合うような楽曲を得意としていて、実際に安達祐実さん主演の『娼婦と淑女』というタイトルの昼ドラの主題歌も担当したことがある。
そんな椿屋四重奏から受けた人生への影響について、出会いから現在までをなぞって行こうと思う。
「生きる目的」を失う不安
椿屋と出会ったのは、高校生のころだ。
当時の私は精神衛生がすこぶる悪かった。
自律神経が狂いすぎて、週末になれば悲しくも嬉しくもないのに目から涙が流れていたし、でも部活の個人練習やら大学受験に向けた勉強はしなきゃいけなかったから無感情で涙を流しながら取り組んでいた。
高校生なので当然実家暮らしだったけれど、家には誰もいなかったからそうした状況は誰にも知られていなかったし、社会人になってから母に打ち明けたら「嘘でしょ?」と言われて絶望したのはまた別の話。
そのころの私にとっては部活での”役割”だけが生きる理由だった。
部活は音楽系で、ソロパートを任されていたから「私がいないと演奏が成り立たないし」ということだけを理由に生きていた。
けれど部活の引退は2年の冬で、その後は役割がなくなってしまう。
引退のずっと前からそのことが怖くて、でも他に生きる理由なんてないし、どんなに長く生きたとしても39歳くらいまでには死んでいいな、みたいな感情を抱えていた。
そんな時に出会ったのが椿屋四重奏だった。
世界が色づいた日
椿屋と出会ったきっかけは勉強中に聞いていた深夜のFMラジオと、よく読んでいたブログでバンド名を見聞きしていたことだったと思う。
YouTubeで曲を聞いたらすごく惹かれて、曲を聴くようになった。
それまでよく聴くバンドといえば東京事変とラルクくらいで、いわゆるロキノン系というジャンルに触れたのもこのときがはじめてだった。
当時アルバムリリース前のタイミングでラジオの冠番組をやっていたから、古いラジカセでものすごいノイズに苛まれながら毎週聴いていたし、レコ発ツアーがあると知ってチケットも取った。
その時はまだ「曲が好き」「ボーカルの声質も好き」くらいで、好きなミュージシャンのうちの1つくらいの立ち位置だった。
ライブに足を運ぶまでは。
軽い気持ちで取ったツアーのチケットを持って、緊張しつつも人生初のライブラウスでのライブに足を運んだ。
衝撃だった。
スーツを着こなすボーカルの中田さんのむせるような高温高湿な色気と、世界中のすべてを信じていないような攻撃的な目と、かと思えば軽やかなステップを踏んでみたりして──パフォーマンスの全部に心を鷲掴みにされた。
こんなにときめいて、楽しくて、切ない気持ちになったのは生まれてはじめてで、その日はイヤフォンをつけずにライブの余韻を味わいながら帰った。
次の日、学校に向かう途中。
1時間目の前に部活の個人練をするために朝早く家を出たら、ちょうどビルの隙間から朝日が差し込んでいた。
毎日見ている光景なはずなのに、色味も輝きもなにもかもが違って、鮮烈に美しく見えた。
その日から、世界が輝いて見えた。
生きる目的はこれだと思った。
椿屋が希望だった日々
それからは、毎日がどんなにつらくても「椿屋がいるから生きていける」と思いながら生活していた。
ライブに行ってから数週間後には昼ドラのタイアップが決まって、これからどんどん躍進していった。
つねづね「武道館を目指している」と公言していて、きっと遠くない未来には武道館の正面に「椿屋四重奏」っていう垂れ幕がかかっているのが見れるんだろうな、と信じていた。
タイアップが決まった少し後にメンバーが1人脱退したことが告知され、ショックすぎて手の震えが止まらなくなったりしていたけれど、バンドは順調に活動しているように見えた。
幼かった私はバンドの活動に自分を重ねながら、未来に期待しか抱いていなかった。椿屋の未来が明るければ、私の未来も明るいと思っていたから。
私は高校3年生になって、部活は引退し、受験勉強だけする日々になった。
家から駅と、駅から学校と、犬の散歩中だけは椿屋の曲を聞いていいという縛りを設けて、そのほかは全部勉強に充てていた。
新しいアルバムの発売が発表されて、ツアーの日程も出たけれど、通っていた塾の授業と被らなかった1公演だけ申し込んで足を運んだ。
仙台で年越しライブもあって、当然のように行けなかった。
大晦日〜元旦にかけては悔しさを抱えつつ勉強しながら深夜ラジオでライブ終了後のコメントを聞いたりしていた。
でも平気だった。
大学生になれば、バイトして好きなだけライブにいけるし、いっときの辛抱だと思っていたから。この時は。
未来が消えた
年が明けてセンター試験の3日くらい前、朝から学校の図書館で自習して、塾の自習室に移動する途中で携帯を見たら、椿屋のメルマガが届いていた。
仙台でのカウントダウンライブをもって、実は解散していたという知らせだった。
意味がわからなかった。
住宅街のど真ん中だったけれどその場でパニックになって泣き崩れて、家に帰って2日間声を上げて泣きつづけた。
声を上げて泣くなんて、後にも先にもこのときだけだった。
椿屋のライブにめいっぱい行くために受験勉強をしていたのに、全部意味がなくなってしまったし、そもそも椿屋がいない人生なんてありえないし、そんな世界で生きている意味なんてないし、つまり世界が終わったってことだし、もう全部ダメだった。
そのときに、本当の絶望とは1秒先の未来があることさえ信じられないことだと知った。
このまま死んで、心中しようかと思った。
でも大学での勉強はちょっとだけしたかったし、それだけでなんとか踏みとどまった。
声を上げて泣いたから喉が潰れて鼻は詰まって呼吸できない中でセンター試験の会場に行き、まわりが同じ学校の人だらけだったのにほぼ全員を無視して帰った。すべてが無理だったから。
崖っぷちすぎたからか、受験した大学にはだいたい受かってしまったから、人生を延長することにした。
ほんとうはライブに行きやすいように東京の大学に通うつもりだったけど、もうどうでもよかったから「建物がいちばん好み」くらいの理由で関東ではない大学に進学することに決めた。
でもぜんぜん、もうあとは消化試合をするだけの余生を過ごす気持ちでいた。
余生
解散後は、ボーカルの中田さんのルーツである仙台が東日本大震災で被災し、復興支援のためのチャリティソングを出したことをきっかけに思ったより早くソロ活動をスタートした。
理由が理由だけに手放しで喜べなくて、最初は複雑だった。
私は大学生になった。
椿屋の最後はライブに足を運べず、解散に立ち会えなかったことがずっと悲しかったから、行けるライブはすべて行った。
いまの私は女性地下アイドルのオタクをしているのだけれど、在宅オタクとしてSNSと楽曲だけで楽しむこともできるのに「現場」に通うことにこだわるのも、このときの気持ちがずっと心に残りつづけているからだなと思う。
話は戻って、ソロ1年目は恐るおそる手探りで活動してるし、私も手探りで追っている感じがした。
いや、嘘。
「私の人生の全部だった椿屋四重奏を解散させたんだから、解散って選択が間違いじゃなかったって証明してみてよ」っていう恨みがましい意地悪な気持ちから追っていた。最初は。
でも、2年目からは曲も好きだしライブも本当に楽しくて、椿屋の幕引きに対する暗い感情がなくなったわけではないけれど、でもライブを見ながらこの光景を見れるのなら解散っていう選択も間違いじゃなかったのかもな、と思っていた。
交通費と食費を削りながら遠征もしたし、ライブ後は感極まって号泣しながらライブアンケートを書き殴ったし、新曲が出るたびに好みだったし、本当に楽しかった。
解散後数年はそんな感じで熱量高く追いつづけて、時期によって波があったりはするけど、でも人生を救われすぎたことは変わらないし、ツアーがあれば行ったし、年末に恒例化しているワンマンは基本行くし(仕事で行けない年もあるけど)、たまに椿屋の曲を復活させてくれて、そのたびに人生全部が救われたみたいな気持ちになっていた。
人生のボーナストラック
2021年4月にソロ10周年を迎えて、それを記念したワンマンが行われた。
これまでライブでサポートメンバーとして入った人たちがほとんど出演するとのことで、純粋に楽しみな気持ちを抱えて行ったら、アンコールでサプライズとして椿屋四重奏の解散時のメンバーが登場し、椿屋の楽曲を2曲演奏するという大事件が起こった。
2021年なんてまだコロナ禍でたいへんな時期だったから、声出し禁止だったし、でも声出さないなんて無理だし、とりあえず立っていられなくてよろめいて、そして泣いた。
もうこんな景色一生見れないと思っていたから、奇跡だと思った。
解散してから10年、長かったな。私の人生にもいろんなことがあったな。
人生の計画なんてなくなっちゃったから高校生の自分が思い描いた未来にはなれていないけど、でもこれまで結構頑張って生きてきたよね。10年間なんだかんだ地道に生きてきたことへのご褒美なのかもしれないな。
そんなふうに感じられて、「生きていてよかった」と心の底から素直に思えた。
人生のボーナストラック2nd
そして2023年の夏。
椿屋四重奏のデビュー20周年を祝して、椿屋の一部のメンバーにサポートメンバーを交えた編成でライブが数回行われることになった。
会場は北海道と仙台、そして東京。追加で大阪も発表された。
仙台と東京はチケットを取ったので、クリスマスイブにプレゼントを待ちながら眠る子どものような、年度が切り替わるタイミングで辞令を待つ社会人ような複雑な感情でライブまでの日数を指折り数えている。
仙台は事実上の解散ライブが行われて、行けなくて悔やんでも悔やみきれなかった場所だし、東京はソロになってからライブしたことのある音響が最高の大好きな会場だし、楽しみだな。
これまでも椿屋曲縛りのライブを開催したことはあったし足を運んだけれど、椿屋四重奏という名前を冠したライブに行けることが満願すぎて、人生に満足しすぎちゃって生きる気力をすべて失ってしまうんじゃないかと怖くなっているくらいだ。
自分が対峙してどんな感情を抱くかは分からないけれど、感受性を剥き出しにして全身で味わいたいな。
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