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ワクチン反対派は異常者であるか

今世間には、ワクチン反対派なるものがいるようです。

 一口にそう言っても、割ってみれば中身は様々な思想で構成されている。薬なんてものはむしろ人間の本来持つ自己治癒力を阻害するものだと言って西洋医学を嫌う東洋医学信奉者。それに類するスピリチュアルな力を信じているもの。今は松の木がブームらしく、体に溜まった毒を排出するために松ぼっくりを一所懸命に食べているそうである。また政治家の汚職やコロナ対策の不手際を見て絶望し、国を見限ったもの。俳優の突然死から、何か裏にある組織の存在を感じずにはいられなくなったもの。多様な彼らの中でも過激なのは、コロナ騒動すべてが国あるいはその裏にある組織のシナリオなのであって、連中の目的はマスクにより国民を弱体化させ、ワクチンと銘打って毒物やチップを埋め込んで我らを管理支配する事なのだと叫ぶ陰謀論者となる。彼らによれば地球は今までもこれからも平面であるし、今テレビに出ている芸能人はゴム製のマスクによって着々と影武者、クローン、バイオロボなるものに入れ替わっているらしい。

 そしてこんな突飛な思想が、少なくとも私のような一般人の目にも触れるほどには増長しています。知り合いの中には、親族が陰謀論を唱えだして疎遠になったという者もいる。彼らは果たして単なる異常者であろうか。

 彼らは、「テレビのいう事をなんでも鵜呑みしている奴は、自分で物を考えることのできない馬鹿だ」という文言を矛としてまた盾として使用しています。「テレビや大衆の認めていることが真実だとは限らないだろう」私はこの点においては、少しばかり彼らに賛同するものである。世の中には、正しくなくともそれが普通だからという理由でまかり通っていることはいくらでも存在します。そんなことは子供以外誰でも人生のそれぞれの過程において気づいている。気づいたその上で自分の得を見込める限り、或いは自分に害の及ばない限りはそんな不正義も見ないフリをする。そういった不道徳な処世術を身につけなければ我々は普通には生きていかれないのである。だから実際彼らのいうように、テレビには幾分かの嘘や、多分な誇張が含まれているに違いないでしょう。

 ただ、こんな立派な文言を掲げておきながら彼らが世間に相手にされないのは、結局のところ彼ら自身がその理想を自らの行動には貫徹していないからです。世間につらく、自分たちに甘いのが見え透いている。多数派が正しいとは限らない、これはよろしい。ただ多数派であることが物事の真偽に本来は関りがないことと同程度に、少数派であることもまた物事の真偽には関りがないはずでしょう。テレビで流れるものが偽装であって、自分たちが自分たちなりに手に入れた情報だからと言ってそれが偽装でない確証はない。通説を疑ってかかるのなら、同じ目で以って自分たちの考えも疑ってみなければ理屈は通らない。彼らだって、テレビを鵜呑みする我々と変わらず、自分たちの内輪で生じた話を精査することなく鵜吞みしているに過ぎないことは明らかである。本当に頭を使っているのなら、彼らの言うようなハチャメチャな噂が増長するはずはないのですから。「接種者の体には金属だか磁石だかがくっつくようになる」「接種者の体臭はケミカルなにおいがする」「接種者の近くにいるだけで体調不良が起きる」頭を使った上でこれらを流布しているならそれこそお笑い種になってしまう。こうした不合理な点をどうにかしないうちは、彼らの言葉が説得力を持つことはないでしょう。

 更に、こんな矛盾を突き付けられても彼らはびくともしない。彼らにとって、理屈の通っている通っていないはその実重要ではないからです。なぜ重要でないのか考えてみれば、そもそも彼らの目的は正義を行う事にはないのだという事に気づく。自分が正義であると思い込んで、世間に対して心の優越を保つことが目的なのです。「町を歩けば周囲は皆テレビに洗脳された馬鹿ばかり、彼らを救えるのは真実に気づいている私だけ」そう思いこんで周囲を下に見ることが出来れば、ただ町を歩くのだって愉快で仕方がないでしょう。こんな英雄的甘美を彼らは味わっていて、それを手放したくない。陰謀論の流行する理由は大体こんなものだろうと思う。

 といって、ここまでボコスカ書けば、なんだか馬鹿に思えてくる。最初に言った様に、彼らがまるで何か欠けたところのある異常者のように見えてくる。ただし私の言いたいのは、彼らのやる馬鹿だって、所詮は世間並みのものであるということです。

 世間側に立っていようが、反対派側に立っていようが、先頭を走るごく一部を除いた後の99%は、単なる後乗りにすぎません。世間という大きな潮流に乗るか、反対派という小さな潮流に乗るか、ただそれだけの違いである。どちらに乗るかを選択する際に頭を少し使いはするが、あとは基本何も考えず流れに身を任せているだけで事は運んでいく。考えてみれば、反対派が馬鹿な噂を鵜呑みして流布していたと同じように、私を含めた世間の多くの人間も、なにも自らの医学的知識によってワクチンの接種を是非としているわけじゃない。厳密に言えば私たちはコロナの存在やワクチンの効果を信じているのではなく、世間という潮流をそこそこに信じているのである。

 両者ともに流れに身を任せているだけなのなら、その差異を生ぜしめる一切は、鵜吞みをする対象の選択という事に結着する。世間は通説というものを鵜呑みにする。これは、「専門外の事にかけてはその道のプロのいう事に則ることが一番確実である」という見識をもっているからであります。そうして鵜吞みをしているものは確かにその分野において無知であると言える。無知も時には害と成り得る。ただどんな博識な人間でも専門外の事にかけては無知で当然である。無知で当然なら、せめてその無知を自覚して有識者の参考を仰ぐだけの頭を持てれば上等という事になる。反対派や世の中の一部には、自分だけは無知でないと思い込んでいる者がある。これは無知を通り越して馬鹿となる。馬鹿は無知を自覚しないで、他人までをも巻き込むから無知以上の害と成り得る。まだ分別の無いのを良いことに、自分の子供まで陰謀論者に仕立てようとするのはこの類の馬鹿です。

 通説が一番確実である。しかしながらこんな見識も、小さなきっかけや状況によって、ともすれば危うくなるものです。「知り合いがワクチンを接種して全身蕁麻疹だらけになった」「面白半分で陰謀論の記事を毎日見続けるうちに、何だか気が気じゃなくなってきた」例えまぐれ当たりであろうと、信ぴょう性に欠けようと、当人にとっては、その足元を掬うに充分足る小石と成り得る。そして一度体制を崩しポチャリと落ちてしまえば、その流れから抜け出すことは難しくなる。反対派の中にはこういったきっかけと状況に、運悪くもぶつかってしまっただけの人間が多くいるような気がするのです。

 そういった人たちは、実は偏った情報に浸りすぎただけの真面目な人間。また真面目であるがゆえに、世の中の不正義に敏感になってしまった人間。またいくら可能性が低くとも、物事に最悪の事態を想定せずにはいられない心配性の人間。これらに過ぎないのではないかと思う。こうして並べてみればどれも人間らしい弱さではないでしょうか。それに、流れに身を任せてしまう事も人間の平生の態度としてはむしろ自然のことである。そして一度なにかを選択してしまえば、それにそぐわない意見は無意識に排斥してかかるのも、精神衛生上自然な防衛手段であると思う。こんなことは反対派に限らず、世間だって日常的に行っていることである。

 まあそんなわけで、そう隔絶した人間でもないのだから、世間へと戻ってくるのもそう難しいことではないだろうと思う。少なくとも彼らが思っているよりは案外ケロッとしたものだろうと思う。戻ってくるのを受け入れないのならそれは世の改善すべき点である。友人や親族と疎遠になってまで得ている今のような陰性の優越も、時には心地いいものだろうと思いますが、いつか気が済んだときには、「あ~楽しかった」といって手のひらを返して、以前みたく世間と一緒になって生きていければ、より幸せだろうと私は思います。

#エッセイ #新型コロナウイルス #ワクチン反対派 #陰謀論




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