見出し画像

ある老兵の告白

 なぜこの事実を今になってこうして文字に起こし、君に自身の極めて陰惨な罪を告白する気になったのかといえば、それは一重に苦しむことに疲れたからである。あの出来事から50年が過ぎ、当時19の若輩だった私は今に古希を迎えんとする老骨と成り果てた。この50年間、1日としてあの日の出来事を忘れたことはあるまい。内向的で体躯に恵まれず、我が師団の劣等生であった私の唯一の友人であった君を失ったあの日のことを。だがもう、私は苦しむことに疲れてしまった。

 あの戦争で死ぬべきであったに違いない人間である私は、何の因果か戦争を生き延び、こうしてずるずると無駄で意味のない人生を歩んできてしまった。本当は、もっと早くに死んでおくべき人間だったのだ。だが、そんなことは今やどうでも良い。私はもう、苦しむことに、そして生きることに疲れたのだ。だから、最後にこの事実を君の墓前に捧げて、そうしてまた辛さや苦しみから逃げて死のうとしている。愚かで下劣な私を君はあの世から蔑むだろう。実際、私はそうされても何一つ文句を言えず、むしろ、この身を業火で焼かれても足りないほどに罪深い人間なのである。

                ***

 忘れもしないあの出来事は1943年の夏、熾烈を極めたフィリピンのオールドビリビリッド収容所で我々が捕虜の監視を行っていた時のことであった。当時のことを思うと今でも背筋が凍る思いがするのは、何も私だけではあるまい。雨季のマニラは連日雨が酷く、ろくに飯も炊けなければ眠ることすら出来なかった。永遠に続くかと思われた食糧難に加え、下痢や発熱で苦しんでいたのは、何も劣悪な環境で管理されていた捕虜たちだけではなく、我々日本兵も同じであった。師団の中でも飛び抜けて無能だった私は、当時の上官だった大尉に命じられ、主に捕虜の”躾”を担当させられていた。私とは打って変わり、戦に長け、上官の信頼も厚く、同年代の中では極めて優秀だった君がどうして私を邪険にしなかったのかは今でも分からないが、君がいなければ僕はどんな酷い扱いを受けていたかも分からない。いざとなれば人間を駒のようにも犬のようにも扱える当時の軍部の人間たちだ、私のように弱小で愚鈍な人間はどんな扱いを受けても不思議ではなかったのである。だからこそ、あの日君が命を落としたと言う事実は、後にどれだけ強く拭っても消えない後悔となって、地縛霊のように私の人生について回ることとなった。

 思えば、あの日は滅多とない、大尉の機嫌が良い日であった。偶の施しだと言って、米国の捕虜たちを小さな部屋に集め、ビデオ(何のビデオだったかはもう覚えていない)を見せてやっていた時だ。何やら後ろの方の捕虜たちがそわそわと、どこか落ち着かない様子で周りに目を向けているじゃないか。もし良からぬ計画でも立てて、大尉の機嫌を損ねるようなことがあれば、私もただでは済まないと思い、彼らを問いただすことにした。この時、捕虜の中で通訳を呼んで話をしたのかどうかは、今となっては覚えていない。しかし、彼らの雰囲気や、僅かながらに聞こえてきた英語で、本来この部屋にいるべきはずの捕虜の1人がいなくなっていることを悟った私は、身の毛もよだつ思いだった。もし私の監視下で脱走が、それもこのような施しの日に起きたことが上官の耳に届けば、捕虜たちへの連帯的罰則だけでなく、私自身も何を言われるか分かったものではなかったからだ。他の者に見張りを一時的に代わってもらい、十四式自動拳銃の所在を確認して、私は飛ぶ勢いで逃げた捕虜の捜索に当たった。


 確かその時であっただろう、君が声をかけてくれたのは。半世紀が過ぎた今は正確に記憶していないが、君のことだ、きっと間抜けな私が過ちを犯したことを見てとって、一緒になって逃げた捕虜を探していてくれたように思う。この時のことはいくら鈍麻な私といえど死に物狂いであったため、次に覚えているのは、こうして文章にしようとしている今も恐ろしさのあまり手の震えが止まらない、私の網膜に焼きついて離れないあの情景である。駆けつけて目にしたのは、君と逃げ出した捕虜が揉み合っている姿であった。これは不味いと思い、近寄って君に加勢しようとしたその時、君の持っている銃を捕虜が奪い取る姿が見えた。いくら痩せ細っているとはいえ、相手の体格の大きさに負けてしまったのか、はたまた濡れた地面に足を滑らせて不覚を取ったのか、その詳細は分からない。しかし、私が見たときには、例の捕虜が君の銃を奪い去り、今にも君に銃口を向けようとしていた。私とて手に持っている銃は飾りではなかったのだから、あの時、すぐにでもその捕虜を撃ち抜けば、君の命は救われたかもしれなかったのだ。しかし、私は臆病だった。怖かった。今にも捕虜がこちらに銃口を向けて、私の心臓を一撃で射抜くかもしれないと思うと怖かった。私は逃げた。背後に銃声を聞きながら。僕は君を置いて逃げたのだ。

                


 ・・・いや、違う。私は想像を超えて卑怯かつ下劣な人間だったのである。私はまた逃げようとしていた。逃げるために書いたこの手紙の中でさえ、私はまた逃げようとしていた。全てを話そう。あの時何があったのかを。どうして君が死ななければいけなかったのかを。


 あの時、捕虜と君が揉み合いになり、捕虜が君の銃を奪ったことは事実である。そしてそれを今にも君に突き付けようとしていたのも。私はそれを見て、逃げたのではない。撃ったのだ。捕虜の頭を。実際私と君たちとの間には距離があったし、事件が起きたのは夜で雨も降っていた。周りには身を隠せる木もあった。捕虜に見つかってこちらが先に撃たれるような心配はなかったのである。私は捕虜を撃った。私には上出来すぎるくらいの綺麗な弾道で、捕虜の頭を一撃で撃ち抜いた。捕虜は絶命していたであろう。安心し、君の元へ駆け寄ろうとしたその時だった。私は悪魔的妄言に襲われた。今、この場所からなら、誰にも見つからず、「君も撃ち抜けるではないか」と。どうしてそんな恐ろしい狂気に取り憑かれたのかは分からない。君の方に目を向けると、どこから弾丸が飛んできたのか周りを窺っている様子で、こちらにはまだ気づいていなかった。不思議に思いつつも、とりあえず君は立ち上がった。そして、捕虜が君から奪った銃を拾い上げようとした時、君はそのまま捕虜に覆いかぶさる形で倒れた。私は、引き金を引いていた。


どうしてだ、と君は思うだろう。実際私は君のことを本当に唯一の友人だと思っていたし、こんな私と仲良くしてくれていたことを、君には心から感謝していた。私はあの瞬間、悪魔に取り憑かれただけなのだ。残酷で罪深い悪魔に。そして、悪魔は私の耳元でこう言った。

「お前、あいつが羨ましいんだろう。お前に無い物を全て持っているあいつが。だがそんなあいつの命を今握っているのはお前だ」 

私はその悪魔の甘言に乗ってしまった。次の瞬間、私は君の心臓を撃ち抜いていた。大変なことをしたと思った。呆然とした。その後どのくらいの時間そこにいたのかは分からない。上官がやってきて、状況の説明をしろと私に怒鳴った。私は、駆けつけたときには捕虜が君を射殺しており、私はその捕虜を逃すまいと射殺した、と話した。

 あの日起きたことは、これが全てだ。君はきっと私を軽蔑するだろう。悪魔だと罵るだろう。もう決して、私を友人とは呼ばないだろう。しかし今、私の心は不思議と晴れやかだ。これでやっと、苦しみから解放されるのだ。君が私を許すことは未来永劫あり得ないだろうが、私は君に感謝している。本当に、感謝している。君は僕の人生における唯一の友人だ。それだけは、嘘偽りのない僕の本当の気持ちだということを、どうか理解してくれると信じている。

                ***


この記事が参加している募集

#noteの書き方

29,258件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?