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先生だって人間だから

感情的になったりもする。
その姿は、怒っていたでも、叱っていたでもなく、明らかに戦っていた。

一年生の子が、親御さんへのお手紙を上手く書けず、泣き喚き出した。
上手く出来ない自分自身が許せないのだろうか?

だって、まだ小学一年生。勿論失敗するし、失敗することは決してダメなんかじゃない。なんなら、学校って失敗するところ。失敗して、失敗して、学んでいくところ。

でもね、学校って、一人で勉強するところじゃないから、一人が騒ぐと他の児童の学ぶ機会を奪うことに繋がる。

担任の先生は、一貫してそれを伝えている。
けれども、その子は、その子の目には怒っているようにしか見えない先生を、意地悪していると訴え始める。
だから戦いという言葉が相応しいように見えた。

いつか先生の気持ちがYくんに届くといいな。
わからないことがあれば聞いていい。
出来なければ助けてと伝えて欲しい。
それを先回りしてやってしまうことは、その子の成長には繋がらない。
「こうすれば出来るよ!」
「ここは出来るよね?じゃあそこをやろう!」

後に「取り乱してごめんなさいと」謝られたが、わたしには、Yくんに真摯に向き合う先生の姿しか見えなかった。

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