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義眼を作ってくれた先生にお礼を伝えようと思っていたのに、不覚にも泣いちゃった話

読みにきてくださってありがとうございます。

桜、満開です!

コングラいただきました!
ありがとうございます。


以前に友達と話していて、母への感情が高まって不覚にも泣きそうになったことを書きましまた。


今回は「不覚にも泣いちゃった話」です。


昨年の梅雨の頃、新しい義眼を作りたくて義眼相談に出かけた。

私の義眼を作ってくれている先生とのお付き合いは、もう40年近くになる。

義眼は身体障害者>視覚障害の補装具になる。

義眼自体が特殊なものなので、作れる業者さんも少ない。

私が義眼を使用することになった時、最初に担当してくださったのがM先生。

途中他の業者さんに作ってもらったことがあるが、眼に合わず、

数年してM先生と再会してからはずっと見てもらっていた。

現在使っているものに不具合はなかったけれど、前回作ってから20年近くたち、予備もなかったのでお願いすることにした。

昨年暮れに手続きなどは終わったのに、肝心の義眼ができてこない。

先週末、連絡先を義眼相談の担当の方から聞いたので連絡を入れてみた。

先生はすぐ電話に出てくれた。

名前を名乗り、これまでのことを話すと

「申し訳ない。体調を崩していて仕事ができなくなってしまった。仲間の業者が次を担当することになっているので、話しておくから」

とのことだった。

いつもすぐに対応してくださる先生だったから、もしかしてと思わないわけではなかった。

先生はもう80歳を超えている。

仕事ができなくなっても当然の年齢。


私が義眼を使用することになったのは22歳の時。

高校3年の時に緑内障で右眼を失明し、その後眼圧のコントロールができなくなった。

頭痛や眼の痛みに耐えられず、仕事にも支障が出るようになり眼球を摘出することになった。

そして義眼を使用することになる。

昔の義眼は、「義眼を使っています」と一目でわかった。

眼に表情がなく一点を見ていたからだ。

私の眼を手術してくれた先生も素晴らしかったのか?

私の義眼は一点に留まることなく表情豊かに動き、そして左眼と同じ瞳の位置、黒眼の色は少し茶色がかり、白眼はいつも充血気味の左眼と同じような色だった。

だからよっぽどのことがない限り

「あなた義眼よね」

と言われることはなかった。

それでも、義眼と仲良くなるまでには時間がかかった。

身体の不調はなくなったけれど、眼も無くしてしまった。

「どうしてこんなことになったのか?」

と思うこともあった。


先生と話していて

「若かったから義眼は嫌だったんですよね。でも、先生の義眼は素晴らしくて……」

お礼を言おうとここまで話したら、涙で次の言葉が続かなかった。

自分の決断と手術。
綺麗な義眼が入るまでのもどかしい時間。
優しく話しかけてくれる先生とのやりとり。
など…

次々に頭に浮かんでいた。

「若かったから義眼は嫌だった」

これが私の本当の気持ちだったことに、今気づいた。

それを言葉にできたこと。
そして、支えてくれたM先生への感謝。

ごちゃまぜになった感情が涙になって流れ出した。

先生、本当にありがとうございました。

感謝しています。

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