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惜しむ名残がそれほどなくても

住んでいる町のおかしやさんが閉店する。
すごくよく行くわけじゃないけれど、ちょっとした手土産を買うとき候補としてよく頭の中に浮かんでいた。
いつも他の候補に圧されがちだったけど、手土産選手権・本日CUPで優勝。久しぶりにお店におかしを買いに行くことにした。

今日は何にしようかな~と扉のない、工場直結の店先に入ると…
お店のあちこちに貼られる「永らくご愛顧いただき…」の張り紙。

そうか。なくなっちゃうのか。

長く続いていたお店だから、ずーっと通っているお客さんはたくさんいるだろう。
来店回数からすると、わたしなんかが閉店をさみしがるのは変なのかもしれない。
それでもついついさみしいと思ってしまって、立ち止まる。

このさみしさは、わたしのもの?
それとも長年通うお得意様の気持ちを、想像してダウンロードしてしまった?

はた、と考えて、あぁこれはわたしがさびしいみたい、と認める。

お会計をしてもらうとき店員さんに「閉店しちゃうんですか?」と聞いた。
これだけ張り紙がしてあるのだから、もちろん答えは「はい」しかないよね。
たぶん、ちょっと信じたくなかったのかもしれない。
「そうなんですよ~でもまだ少し日にちがありますから、また来てくださいね」と答えてくれた。

わたしは閉店の日までに、もう一度このお店にいくだろうか。
行かないような気がする。たぶんうやむやにして、さよならから逃げそうな気がする。
他の人が買う分を私が買ってしまったら悪い気がするし、とか言って。

声を掛けられたお店の人も、「この人そんなに来てたっけ?」と思ったかもしれない。
惜しむ権利を持ち合わせていないわたし。
だけどちょっと気持ちがしゅるるとなったのは本当。

「これ、大事にいただきます」と買ったおかしと引き換えにどっちつかずの言葉を渡して、お店を出た。
まだお店はここにある。
それでもわたしの住む町はもうすでにちょっとだけ、「このお店が消えていく町」へと様子を変えたような気がした。


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