「花嫁修業」
昨夜、私の年の離れた従姉妹が
結婚式を挙げる夢を見て
朝起きてから「もうそんな歳になっちゃったのか」
なんて感慨深くなったのですが
その繋がりで色々な事が頭をよぎったので
書き連ねて行こうかと思います。
纏まってはいません!
しかし何事も発信しなければ
届く人にも届かないですし。
題名の「花嫁修業」ですが
私は生まれた時から、たぶんめちゃくちゃに
花嫁修行をさせられていたのかもしれないと
結構最近思うことが多々ありました。
ここで出てくるのも
何度目になるのでしょうか
亡くなった祖母二人が深く関わってきます。
祖母2人は
私にことある事に「女の子はお嫁さんに行くのだから」と、ずっと言われて来ました。
細かいことを言えばキリがないのですが
箸の持ち方、お裁縫、料理の味見をして何が足りないか、何が入っているかを当てる
歩き方、座り方、魚の綺麗な食べ方
もう数え切れないくらい色々あります。
なんて言ったって生まれてから今までの人生で
そういうことが生活の一部でした。
しかし、今の世の中
「女はこうあるべき」
「男はこうあるべき」というのは
結構どんな時でも男女間で紛争のように
争われるようなって来ました。
私は甚だ疑問なんです。
女はこうあるべき
男はこうあるべき
ではなく、重要なのは
「自分は恥ずかしい生き方をしていないか」
「自分はこうあるべきだ」
という一人の人間としてどうあるべきかなのになぁと。
なぜそう思うか。
私は生まれてから「女の子はお嫁さんに行くから」と
今思えばようやるわ、というくらいの
教えを叩き込まれた身です。
そう教えてきたのは
力強く、凛として、かっこよく
そして時には可愛らしく
オシャレに生きてきた祖母達です。
そして、それを見て育った私の母。
そんな人達が居たからこそ
多分、祖母たちの想像の斜め上を行くような
奇抜さと行動力と根性で
自分らしくこうしてお嫁さんになれたのです。
だって、私の見て感じてきたお嫁さんは
大切な人を守って
時には厳しく、でも毎日楽しい日々を
ずっと過ごさせてくれた
紛れもない「かっこいいお嫁さん達」でした。
多様性とかなんとか
男が、女がという問題は私には
勉強で言ったら「基礎知識」なのであって
その人がどう生きていくかということに
他人の私たちがあーだこーだ言って
踏みにじるようなものでは無いと思っています。
その人がその人らしく生きられるような視点で
犯罪やルール違反がなければ
幸せにやれよ!じゃぁな!で済ますのが
本当の多様性であると思います。
そして私の中のこういった大きな問題に対しての意見や
大切な芯というのは
祖母達やその他、逞しい人達が実際に見せてくれた
「花嫁修業」のおかげだと思っています。
小さい頃に憧れた
お嫁さんに私はなれた。
世の中がそれに勝ち負けや優劣をつけても
私は頑として
いいや、私が嫁になったら絶対
みんな幸せになると言います。
それでも食い下がる輩には顔面張り手の刑です。
まぁ、こんなこと言ったら
私はそんなこと教えてませんと
叱られそうなので
控えめにしておきます。
自分らしくたくましく生きている人たちへ
どうか、そのままで。
まぴこ
Twitter @corazon_mapiko
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