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写真考、と言っても私はただ見て楽しむだけ

どこへ行くにも使うことのない道があって、その道に何があるのか気になってたまに通る。何があるという事もないけれど、何もない時はない。

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木の影と屋根の影が面白いと思ったことと、廃れたトタンと建物をこの位置から見ると斜めに見えるのが気に入って撮った。あと誰もいないこと。

影の割合と明るい部分の割合とは、だいたい明る割合が多いほうが私は好ましいらしい。時間の経過を感じる壁や勝手に生えてきた雑草も良い。私が通らない日も、来る日も来る日もこのデモンストレーションが行われていると思うと、自然と人工物の密接な関係にジェラシーを覚える。高校生のころ、里山についての文章を読んだ思い出があって、このような場所は里山に近いと感じている。人間はいないけれど、なんの手も入れられていない完全な自然ではないけれど、それがちょうど良いバランスを意図せず作り出していると思うと、この世界は常に完全な気がしてくる。それを表現するのに写真という手段がうってつけだとも思ったりしてしまう。私がどうしてこれを撮ったのかという理由は子供の気づきみたいなものだけど、帰ってきて見ると、そういう考察ができない事もなく、こうして私もどんどん年老いて時間の経過の分かる人間になって行くのだなあ、というのを想像すると少しうっとりする。

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