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命の灯火の通話 〜ただ聞いてそこに居る〜

わたししか知らないあの子、わたしの一部を共有した友A(仮名)とのこと。Aという人物がいたということ、Aと過ごした時間の証、レクイエム。

あれはアメリカ留学中の大学時代、音声交流は電話のみの時代だった頃だ。

家族からの手紙

「Aはもうこの世にいません。」
よく電話で話していた友人Aがしばらく音信不通だった。後に家族からの手紙でAの死を知る。死という言葉は使われていなかった。そしてAの苦悩や色々思っていたことは家族の誰も知らなかったようだ。

いつかそうなるとは覚悟していたが、実際に現実に直面するとやはり辛くしばらくの間泣き尽くした。

数回しか会っていなけど

Aと私はアメリカで会い、実際に会ったのは数回程。Aは日本へ帰国し、後に眠れない夜はお互いに国際電話する付き合いになった。日米間の時差とお互いのスケジュール的にも丁度よかったのだ。その時間は国内の友人には電話出来ないのだから。

眠れない夜は余計なことを考えがちで、実際の問題が何倍にも膨れ上がり辛くなる。考えさえしなければよいのだが中々難しい。暗闇の中悶々と不安、懸念、自己嫌悪、やるせなさ、フラッシュバック等が混ざり合いその中に溺れ苦しくなる。反芻癖があるので尚更だ。

お互いのその時間に電話し「眠れないよね、辛いよね。」と時間と心を埋め合ってた。たわいもない話をしながら。苦悩や辛い話などの詳細話はしなかった。それらはほんの少しだけその輪郭を浮き彫りにしたくらいだ。

当時インターネットでのコミニュケーションはチャットでテキスト主流、まだ音声交流はできなかった時代だ。国際電話がバカ高い時代だったが、生きるために大切な必要経費だった。命の灯火を付け合うために。お互い言いはしないが当時精神的に結構ギリギリな状態だった。

Aとよく話していることを当時の親友に伝えたら、数回しか会ったことないのに?!と驚かれた。よく話す友達というのは、若い時は特に実際に会った回数、一緒に何かしたり過ごした時間からそうなるケースが多いが、Aの場合はそうではなかった。たまたま条件が合ったのと、他の友人とはまた違った距離感や付き合い方だった。

仲良くなると色々なことを話し共有し家族のようになっていき、つい余計な口出しをしてしまいかねない。また友人に問題があったら、解決に向けて何とか手助けしたいと思う。何かしたい。「する」と思ってしまう関係性なのだろう。

Aとはそうならず、あまり余計なことを話さず、電話越しではあるけど「そうなんだね。」とただ一緒に「居た」のだろう。

ある事の後の電話

ある日「睡眠薬いっぱい飲んで2〜3日くらいずっと寝ていて起きなかったみたいなんだけど、家族の誰も気がつかないんだよね。何も言わないんだよね。」と、淡々と落ち着いたした口調で話すA。

自殺未遂直後の電話かい?!

全然責める口調ではないけど、「ダメじゃん。何やってんの。」などと言ってしまったかもしれない、よく覚えていないけど。最初はダメ出しをしてしまったが、その後はAのように淡々とした感じでそんな話を聞いてもそうなんだ、うんうんといつもの私が聞いていた。

こんなことがあったので、この子はまたきっと同じことをするのだろうなと思っていた。わかっていた。止めるでもなく、止めようとしてもしょうがないこと、その声は聞こえない、届かないことも。止めたいけれど何を言ってもしょうがない状態なのだ、認知なのだ。当時の自分も同様。

夢と世界地図

Aの死後何年か後、ある夢を見た。Aが留守番電話にメッセージを残していた。「A!生きてたの?!」メッセージはなんだったか全然覚えていない。またB5サイズの封筒がAから届いていた。外から中身は全然想像できなかったが、かなり大きなサイズの世界地図が何重にも折り曲げられて入っていた。

私たちは社会や周りから押し付けられた狭い考えの中だけで苦しんでいたのだと思う。これしかないって。こうあるべきなのにって。当時はこの夢の意味がよくわからなかったけど、もっと大きな世界を見て全体俯瞰しろと言っているのかなと後に思った。大きな世界を見ても、偏った認知、思考に気がついて変えなくては変わらない。外国に住んで、他にも色々なところへ行って色々な体験をしても認知、思考が変わらなければ「井の中の蛙、大海に出ても井戸マインド(私の造語)」「三つ子の魂百までも」だ。どこへ行って何したって変わらないフィルターを通した同じ世界しか見ておらず、人と関係を変えて慣れ親しんだずっと同じことをするだけだ。

Aへ

私はあなたの2倍以上生きてしまったよ。地図の意味もわかってからまだ10年も経ってない。いい年してても、あの頃よりは少しはマシになった程度。あの頃はお互いに「居る」をやっていたのだと今頃気がついたくらい。それが出来たのはいい意味で言ったってしょうがないの諦めができていたのでしょう。あなたの家族も恐らく言ってもしょうがなかったのでしょう。

今は新しい認知で自分の地図を描いているところ。

見方次第で世界は変わる、創れる。


あの時居てくれてありがとう。灯火をありがとう。

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