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結局、アナ雪のエルサは「ありのまま」になれたのだろうか?【エッセイ】


ありのままの姿をみせるのよ
ありのままの自分になるの

レットイットゴー

数年前に世界を沸かせた、あの名曲である。
映画「アナと雪の女王」でエルサが自分を好きになりたい、自由になりたいという気持ちを表した歌。人々から逃げ出し、氷の魔法で大きなお城を作り出していく姿が印象的だ。

ところで、この時エルサは本当に「ありのまま」になれたのだろうか?

いや、そもそも「ありのまま」とは何なのか。
なぜこのような疑問を持っているのかというと、私自身「ありのままの自分」を知らないからだ。

私たちは常に何かしらに影響されながら生きている。自分で決めた選択と思いきや、見聞きしたり、経験したり、出会った人に無意識のうちに影響されている。

「ありのまま」だと思った自分は、実は全くもって「ありのまま」ではないのかもしれない。


で、結局、エルサはあの時「ありのまま」になれたのだろうか。

たぶん私たちが「ありのまま」になれるよりは「ありのまま」になれただろう。

なぜなら彼女は人生のほとんどを城の中で過ごした、しかも部屋に閉じこもって過ごしたからだ。せいぜい関わりのあった人物といえば、妹のアナや途中で亡くなってしまう両親なのだから。

ほとんど他人に影響されずに、お城の中で過ごした。そして自分の「能力」を知っている。だからきっと、あのような自信に満ちあふれた歌が完成した。


人と出会い、経験し、何かに影響されてしまった私たちは、エルサのように「ありのまま」にはなれないかもしれない。

逆に、自分自身の意思決定に影響が少ない第三者のほうが、私たちの「ありのまま」が分かるのかもしれない。

じゃあその「ありのまま」を教えてくれる第三者は誰になるのだろうか。


このように、「ありのまま」について考えるのはとっても難しいと私は思う。歌詞に多用されているのは、「ありのまま」が単純な意味じゃなく、深い複雑な言葉だからかもしれない。


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