人の顔色をうかがうのは、何だか「人間らしい」とも感じるのだ。
あれは留学してすぐ、
くらいの時だっただろうか。
出会ったばかりで、
まだ親しいわけではない友達と、
買い物に行こうと誘われ、
タクシーに乗っていた時の話。
窓の外を眺める私は、
降り注ぐ太陽の光が眩しくて、
目を細めていた。
車内は熱気が籠もり、
暑そうにしていた私に、
友達は、
「暑いなら窓を開けていいか運転手に聞いたら?」
と私に言った。
それに対して「大丈夫」
と私は断る。
致命的な内向的人間の私は、
運転手に迷惑をかけたくない。
また、
留学なんてしておいて信じられないかもしれないが、
ひと言声をかけるだけでも労力が必要なのだ。
そして、
まだ親しいわけではない友達と一緒だということに、
会話するだけでも緊張があった。
「大丈夫」
そう断ったときの私の顔が、
もしかしたら不機嫌に見えたのだろうか。
そのとき友達が、
私の顔をじっと覗き込んでいたのを鮮明に覚えている。
視界の端に写った友達のその顔は、
なぜか悲しい顔をしていた。
私は少し複雑な気持ちになった。
もしかしたら、
私が悲しませることをしたのだろうか。
今思えば、そんなことないのに、
当時は不安に感じたものである。
怒った顔とか悲しい顔というものは、
厄介だ。
君が不意に、
楽しそうな顔をしていたら、
私も単純に楽しいと感じることができるけど、
怒った顔をしていると、
私のせいで怒っているのかなと、
不安な気持ちになる。
君が不意に、
嬉しそうな顔をしていたら、
私も単純に嬉しいと感じることができるけど、
悲しい顔をしていると、
私が悲しませたのかなと、
辛い気持ちになる。
君の明るい表情を見ると、
私も同じように明るくなるだけなのに、
暗い顔、鋭い目つき、
攻撃的なところを見ると、
それは私のせいなのかと、
考えすぎてしまうのはどうしてだろう。
だからといって、
君は私の都合に合わせて、
感情を変えられるわけではないし、
そもそも、
悲しい顔をしているからといって、
君が本当に悲しんでいるかどうかは分からない。
人の表情というのは、厄介だ。
人それぞれ何かを感じるタイミングは違うのに、
顔色をうかがっては一喜一憂してしまう。
顔色をうかがわずに生きられるなら、
とても楽なのだろうけど、
顔色をうかがうのは、
何だか「人間らしい」とも感じるのは、
なぜだろう。
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