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「君の名は」中立勢による「天気の子」雑感(ネタバレ)


新海監督の「天気の子」を見てきた。(ヘッダー写真は曇天だが……)
きっと新海作品に詳しいみなさまによる神考察はたくさんあるはずなので、私は中立勢として雑感を残しておきたい。「君の名は」も劇場で見たが、特に泣かず、リピもしなかったタイプのオタクであることをご了承願いたい。
以下、ネタバレと、ネガティブ含む感想である。

ざっくり言うと
ボーイ・ミーツ・ガールと異世界要素が分離していることによるモヤモヤと唐突感。キャラの背景の描写不足による共感未遂。
空と雨の描写およびはハイクオリティ。異常気象の理由と結末には納得。

というところである。


①良かったところ


・巫女要素が出てきた時に「またかよ、「君の名は」すぎる……」と思ったものの、人柱に持ってったのはまあよかった。ただ人柱=死、消滅なのか、=能力の消滅なのかがハッキリせず、ホダカとヒナの選択の重大さが朧気になったのが残念。

・異常気象というテーマの扱い方も、よかったと思う。とくにおばあちゃんの「今の子は可哀想、昔は春も夏も素敵な季節だったのに」のセリフは、リアルにも通じる発言でよかった。花粉とか酷暑とかね。
・加えて、雨が降り続いた結果、人口埋立地が水没して江戸以前に戻るというのも着地点として良かった。でも「人と天気によって地形を変えてきた」というセリフには疑問が残った。火山活動やら嵐やらは自然現象なわけで、それによる地形変化はいわゆる「星の意思」なのでは?それを害悪のように言ってしまうんなら、天気という概念が迷子になると思う。監督にとっては天変地異と天気は別物?天気は龍神が意のままにしてるってこと?そこがよくわからなくて惜しかった。

何よりも風景の美しさ。
水の表現が目立つが、風、陽の光、なども良かった。風景を楽しむ映画。ただ、水=魚、というのがぱっと見よくわからなかった気がするのは私だけか。

②残念なところ

キャラクターに魅力や信念がなく、薄っぺらいところ。良かったのは正直ナギくらい。
キャラごとに

・ホダカ→家出の理由が不明。かつ、ヒナにそこまで惚れ込んだ理由が不明。これに尽きる。このせいでラスト20分の安室透まがいの逃走劇と廃屋シーンがどっちらけになった。もしも親が両方死去したとかなら、ヒナと共鳴した理由はわかる。しかし両親は捜索願を出しており、あっさり島にも帰り高校まで卒業している。ホダカの信念はグラッグラだ。共感できない。

・ヒナ→父親はどうした?シングル?ナギと一緒にいることへの固執の背景が不明。母親にナギを託された、っていう場面をいれるべきだった。「晴れ女」やってる間に、徐々に体は消えて来ていたはずなのに、その葛藤を描かなかったことがこのキャラを殺している。最後に地上に戻るときも、「また雨になっちゃう」と使命感ぽいこと言ってるのに、それを覆すのがホダカの恋情であることの中途半端さにがっかり。そこが千と千尋との違いだよ(後述)

・スガさん→ああ、小栗くんか…!最後にホダカを逃したのは、「ヒナに会いたい(=もう会えなくなる)」が自分の妻のことに重なったからだとは思うが、それをあの廃屋で瞬時に理解できたのが不自然。取材などで断片的に事情をわかっていたのなら、ホダカを追い出す前に理解を示したってよかった。

・スガさんの姪(名前忘れてごめんなさい)→本田翼さんはクセのあるしゃべりかただな〜とは思ったものの、それ以上に最後の原チャリでの逃走劇が唐突すぎて、声なんてどうでもよくなった。せめて乗っけるときはスピードを落とさないと…某スケートアニメでも、カザフの英雄はちゃんと止まってるよ。

・ナギ→こういうキャラは好き。ホダカと打ち解けた経緯を省かれたのが最大の損失。ヒナとは血がつながっていない、とか、彼が龍神、だとかだったら最高に面白かった。あんなに女の子にモテるんだから、神でもいいじゃんね。

・警察の人々→梶さんがよかった(アニメ感を消せる声優さんてすごい)


③ジブリ作品のオマージュ?

随所にジブリオマージュを感じた作品だった。そのせいで「ジブリとの質、信念の違い」が露呈してしまったのが残念。

◆千と千尋の神隠し、未満
龍神設定からしても誰もがわかるように、ジブリの「千と千尋の神隠し」がかなり意識されている。最後の方なんて特に。しかし、決定的な違いもある。千と千尋はボーイミーツガールが主題ではない。あれは千尋の自分探しや成長の物語なのだ。ハクへの恋情で何かを決断したりはしない。
「天気の子」は成長やら自分探しの機会を存分に与えられていながら、最終的には恋愛感情で全てを決定していくというところが、キャラも話も全部殺していると思うのだ。

つまり何が言いたいかというと、ボーイ・ミーツ・ガールの限界というやつである。この多様性の時代、男女の出会いよりももっと人を成長させる出会いはある。なのにこれに固執するメリットってなんなのか。しかも、男女の出会いを主題にするなら、異世界との邂逅を入れる必要は全くないではないか。両方詰め込んだせいで両方中途半端に死んでいる。異世界でホダカとヒナは誰にも出会わない。龍神にすら出会わない。結局「天気」に関する学びや成長はない。ただ恋愛感情を得て、役割を放棄し、現世にもどっただけだ。
これは声を大にしていいたいのだが、新海監督はもうボーイ・ミーツ・ガールという主題から離れたほうがいい。この主題が刺さるのは、恋愛に全てを委ねられる世代、十代前半だけだ。


◆魔女の宅急便、未満
これもやはりジブリである。
特殊な能力には代償がつきもの。というのが今回の中規模テーマのひとつだったのは明らかなのだが、これは魔女の宅急便で提示されたものである。
魔女の宅急便では、魔法を得る代わりに周囲から浮く、という代償だった。逆に周囲に解けこんだら、魔法を失った。これも代償である。そしてキキは周囲とは同じになれない部分をしっかり飲み込んだ上で、魔法を取り戻していく。
今回の「天気の子」ではどうか。ヒナの特殊能力とは、天気を変化させる(=晴れを呼ぶ)ことである。これはキキと違って、後天的に手に入れたものだ。代償として人柱になる、という現象が起きる。
前述したが、この人柱になるの概念が曖昧であるために、ヒナが何を捨てて、何を得たのかがよくわからない。たしかに身体は透けていたが、肉体が消えるのか、能力が消えるのか、存在した事実すらも消えるのか、魂は残るのか、それが全然わからない。龍神の元で嫁になるとか、雲の上で一生涯孤独に過ごすとか、それすらわからないのだ。わからないまま、ヒナはホダカへの恋愛感情にすがった地上に戻る。能力の代償を放棄している時点で、キキとは生き方が違う。乗り越えたのではない、逃げたのだ。

④大衆向けアニメ作品の未来について


「君の名は」の時も思ったが、「天気の子」もまた、多少SFっぽい小説アニメ漫画をかじった人間ならば、「ああ、タイムリープだな」「特殊能力の代償で死ぬな」とすぐにわかってしまう内容である。
つまり、わかりやすい。大衆向けなのだ。
ところが、「君の名は」ではそこまで目立ったなかった、大衆向けとは言い切れない不親切さが見えたのが「天気の子」だ。たとえば冒頭から繰り返されるホダカの「島に帰りたくない」の理由。これがわかった人は少ないのではないか。深読みすれば「光の中に行きたかったから」だが、観念的すぎて理由として弱いのは明白だ。これに納得できる人は少ない。こういうところが大衆向けではない

そして、非オタクにとっては定番のボーイ・ミーツ・ガールに、オタクにとっての定番であるSF要素を組み合わせるのも、このやり方ではもう限界ではないかと思うのだ。どっちの良さも潰している。出会いや関係性にこだわるまえに、ぜひ一人のキャラクターをもっと掘り下げて、描き切ってほしい。そのためにも主題はひとつに絞ってみてはどうか。

そもそも、これだけ価値観が多様化した時代に、大衆向けアニメなんてものが成立するのかというのは、とても疑問だ。大衆向けにしなくたって、面白いものは面白い。面白いという評判が広まれば、ニッチな作品だって新たなファン層を獲得でき、大勢が見るのではないか。これは細田作品にも言えることだと思うが、いわゆる家族(子に映画を見せる親)が喜ぶ「家族の絆」だの「愛」だの、そういう主題を選ぶだけで、大勢に受け入れられる時代は終わったのだと思う。悲しいことだが、現代を生きる我々が、それらにあまりご大層な価値を見出せないからだ。アニメという非現実の中にそういう主題が入るたびに、道徳の時間の延長や啓蒙っぽい感じがして、「まあでも、現実には無理だし」と思ってしまう。だから没入できない。「愛」やらなんやらは、各々が感じ取ればいいのであって、「ほらっ、愛が世界を救ったよ」とわかりやすく提示されると、萎えるのである。

なんだかグダグダと小姑のように書いてしまった。
大したファンでもないのに申し訳ない。一回見たニワカの理解力が悪いせいかもしれない。詳しい方にぜひ色々教えていただきたいくらいである。
新海監督は大学で国文学を専攻していらしたとのこと。それならば、きっと愛だの恋だのの話だと見せかけて、もっとダークでドロドロしたものが埋まっている日本の古典文学にも詳しいはずだ。一筋縄ではいかないそういう世界を、ぜひ、描いてほしいものである。

とりあえず、空と雲と雨の美しさは、本当に目の保養であった。

長文におつきあいいただき、ありがとうございました!


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